若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

中国新閣僚の顔ぶれ

朝日新聞朝刊。中国新閣僚の紹介。

商務相:呂福源さん。
これまた結構なお名前である。「福の源」!商務相にふさわしいお名前ではないか。温家宝首相とともに、中国経済の大躍進を実現しそうな方である。

副首相:回良玉さん。
パチンコ屋の社長みたいな名前である。

副首相:黄菊さん。
芸者みたいな名前である。黄さんの家に赤ちゃんが生まれて、なぜ「菊」という名前をつけたのであろうか。ナゾである。

私は、本名と、若草鹿之助のほかに、もう一つ名前がある。

母が施設に入居してすぐのことであった。
入居者の70歳くらいの女性が、私を見るなり、顔を輝かせて近づいて来られた。Mさんであった。

「まー!あなたにこんな所でお会いできるなんて!」
「・・・どーもどーも」と言うほかない。
「どうなさってたの?皆様お元気ですか?」
非常に上品な方であった。
「なつかしいですわ。坊主たちに、あなたにお会いしたって言ったら、どんなに喜びますか」
この方には男の子が二人いるのだな。私は、「近所のお兄ちゃん」らしい。
「ねえ、阪急の岡本の駅のね、ほら、あそこでね。あの頃が一番楽しかったですわ」
若い母親として、充実した日々を送っておられたのであろう。
実の母にも忘れ去られようとしていた私を、Mさんは覚えていてくださったのである。

ひとしきり話して、歩いていかれた。
10分後くらいに、私を見ると、また顔を輝かせて、
「まー!あなたにこんな所でお会いできるなんて!」と言われた。
顔をあわせるたびに、なつかしがられるのであった。
思い出したと思うと、すぐまた忘れられるのである。脳の機能をフルに使っておられるのである。

毎週私が行くたびに、なつかしがっていただけた。そのうち記憶に定着したようで、なつかしがられることはなくなったが、いつも、岡本の駅の近くでの楽しかったころの事を話された。

私は、この方にとって誰なのか、本当に「私」は存在したのかを知りたかった。

ある日、Mさんがもう一人の入居者の方と歩いて来られた。
私は「こんにちは」とあいさつをした。
すると、Mさんは横にいた方に私を指して
「こちらね、湯川さんのおあととり。こんなにおちいちゃい時から存じ上げてるんですのよ」と言われた。

感激した。私は湯川さんだった。

Mさんは、今は症状が進んで、私にも全く無反応になってしまわれた。