母のいる施設に行く。
ここでは90代は珍しくない。
私が初めて「高齢」を意識したのは祖父が77歳になったときだ。
母が「喜寿の祝い」をすると言って兄弟と連絡を取っていた。
小学生の私に「77歳」は衝撃的であった。
もちろん、それまで大人の年齢など気にしたことはなかった。
健ちゃんは八つとか好子ちゃんはここのつと言っているところへ突如「77歳」と来たのだから驚くのは当然だろう。
「喜寿」の祝いの品がまたすごかった。
茶釜。
茶釜ですよ茶釜!
茶釜といえば私は「ぶんぶく茶釜」しか知らなかった。
茶釜などというものがお伽話の中だけでなくこの現実の世に存在しようとは!
この世のものとは思えぬ「77歳」とこの世のものと思えぬ「茶釜」の組み合わせは、私にとって実に神秘的でもあり心から深く納得できるものでもあった。
この、母方の祖父は関東にいた。
シベリアに抑留されていた長男が戻ってきて大阪での生活が落ち着いた頃、こちらにやってきたのであった。
私の父は子煩悩でやさしく楽しい父であったが、母は「お父さんというのは本当はもっと恐いものだ」と言った。
自分の父がいかに厳しく恐い人だったかよく話した。
家で歌を歌っただけでも叱られたそうだ。
非常に身体が大きく、「背は六尺で若いころは何十貫あった」とも言った。
だから、幼稚園の頃だったか、祖父が初めて我が家に来たとき私は大変に緊張していた。
なるほど祖父は大きな人だった。
目がギョロッとしていて頭がはげていた。
座敷にどっかりと座った祖父は本当にこわそうであった。
私はすみっこで小さくなっていた。
と、妹がちょこちょこっと走って行って祖父のはげ頭をつるつるなでたかと思うとぴちゃぴちゃたたいた。
ひえー!
私はふるえあがったが、祖父はおどけたように笑って妹を抱きかかえた。
意外だった。
おじいちゃんは恐くない!
安心すると同時に妹がうらやましかった。
「妹」はああいうことをしても許されるのだ。
その頃、私はおにいちゃんのいる子がうらやましかった。
弟になりたいと思ったものだ。
祖父の頭をたたく妹を見て、あらためて弟になりたいと思った。
以後長年にわたり弟になりたいと努力を続けた結果、今では「弟にしたい男ナンバーワン」と言われるまでになった。