母のいる施設に行く。
大正13年生まれ、海軍航空隊士官であったNさんが、車椅子で入浴から戻ってきた。
「お風呂、どうでしたか」
はげたピカピカ頭をたたきながら、
「・・・いじめられて」
車椅子を押してきた若い女性職員が、「もう!いじめてないやないですか」
ボケた人の口から出ても、言葉はひとり歩きする。
「いじめられたんですか?」
「いじめられたりいじめたり」
この前来た時は、Nさんが別の若い女性職員に、「ヘソ、見えてるで」と言った。
あわてて確認。
「もう!見えてないやないですか!」
ここの入居者たちは、我々より少し「口から出まかせ度」が高い。
口から出まかせとわかっていても、つい真に受けてしまう。
今日はNさんの調子が良く、色々しゃべる。
「大正15、6年はね」
「大正16年はないでしょ」
「おませんか?えらいすんまへん」
終戦は、松島基地で迎えたそうだ。
「戦友も、ようけ死によりました」
「そうでしょうね。たくさん戦死されたでしょうね」
「部隊の、十人中五十人が、戦死しよりました」
凄まじい戦死率だ。
特攻隊以上。
アルバムを見せてもらう。
海軍士官姿の颯爽たるNさん。
背も高いし、かっこよかったでしょうな。
そう言えば、以前、
「海軍、もてましたで。休暇で実家に帰りまっしゃろ。女の子が三人、四人、ついて歩きよる。もてました」とご機嫌であった。