母のいる施設で。
久しぶりに会話を聞けた。
皆さん症状が進んで、会話が成り立つことが少なくなってきた。
会話と言っても、もちろんすれちがいのトンチンカン会話である。
トンチンカン会話と言っても、もちろん健常者のトンチンカン会話とはレベルが違う。
たとえば、最近「徹子の部屋」に出た、ピアニスト、フジコ・ヘミングさん。
黒柳徹子さんの質問に、まともに答えない。
ずれている。
ずれてはいるのだが、ずれ方が中途半端で、徹底していないので、聞いていて疲れる。
施設で聞くトンチンカン会話は、ずれているというようなものではない。
会話とはいえないようにも思うが、会話というほかしかたがないとも思う。
男性Aさんは、元気なころは、陽気な楽しいところと短気で怒りっぽいところをあわせ持った人だったであろうと思う。
女性Bさんは、物静かな知的な方だったであろうと思える。
女性Cさんは、いつもこわい顔をした口うるさい方であったと思える。
Aさんが、椅子から立ち上がって、「おーい!彼女!お茶!」
ナウな呼びかけである。
車椅子のBさんが、Aさんを見上げて、落ち着いた静かな口調で答える。
「そら、御自分で思ったとおりに、なさったらいいのとちがいますか」
「え?なに?」
「その可能性は充分あると思いますよ。いろいろ考えた上でのことでしょうから」
「そうでっか・・・。おーい!ティッシュ!ティッシュくれ!」
Cさんが、こわい顔でAさんをにらんで、もごもご言っている。
激しく非難しているようだ。
「え?なに?」
Cさんは、Aさんを指差して、糾弾し続ける。
Aさんは、不思議なものを見るように、Cさんをじーっと見つめている。
Bさんは、Aさんに向かって、静かにしゃべり続ける。
話は弾んでいるといえる。
邪魔をしてはいけない。
すっきりと、気持ちのいい情景だ。
「コミュニケーション」とか「相互理解」ということについて、じっくり考えてみたくなるような、ならないような、そんな気がする昼下がりであった。