きのう母の入っている施設に行ったら、80代男性Nさんの書道作品がかけてあった。
字は、相田みつをさんがあこがれそうな字だが、かなり読みにくい。
しばし見つめて解読。
「ふるさとは 頭記にありて 思ふもの」
こ、これは・・・?
万葉仮名表記法に基づく由緒正しき書き方なのか、単なるでたらめ、書き損ない、Nさん誤変換、なのか。
一見、深みがありそうなところも、相田さんがあこがれそうだ。
さて、『道鏡』は、昭和34年出版の本である。
たぶん出版当時のものと思われる、長瀬川の写真が出ていてなつかしかった。
私にとって、川といえば長瀬川だ。
物心ついたときから見つづけてきた、家のすぐ近くを流れる川である。
道鏡は、河内の人なので、長瀬川が出てくる。
大和川支流の小さな川だ。
小学唱歌「春の小川」みたいな川で、田畑の間をぬって流れていたのだろうが、家がたち工場ができつつあったころが、私の子供時代だ。
土手からすぐ降りることができたし、ふだんは浅くて、子供が入っても危なくなかった。
長瀬川の橋に沿って、水道の鉄管が通っていた。
夏など、鉄管にまたがっているとお尻が冷たくて気持ちよかった。
何人かでまたがっていた時、小川さんのおばちゃんが通りがかった。
「あんたら、おいど冷えまっせ」
「おいど」は「おしり」の「大阪方言」というより、すでに「古語」に近かったと思う。
幼い頃の思い出に、年上の男の子達が、網を持って長瀬川に走っていく場面がある。
「大和川の水門、開いた!」
なにか、一大事のようだ。
私もついて走った。
橋の上から見る長瀬川は、「春の小川」が一変、「濁流渦巻く小川」になっていた。
そして、小さな魚が次々に流れてくる。
なるほど、大和川の水門が開いたのだな、と納得しながら、濁流と魚を見ていた。
やはり幼い頃、まさおちゃんと土手で遊んでいた。
まさおちゃんがずるずるとすべって、川にはらばいになった。
2、30センチの深さである。
立ち上がると思ったまさおちゃんは、川底におなかをつけたまま、なんたることか、必死で平泳ぎをはじめた。
そして、大声で、「たすけてくれー!たすけてくれー!」と叫んだ。
土手にしゃがんだ私は、川に腹ばいになって、猛烈に平泳ぎの格好をしながら、大声で助けを呼ぶまさおちゃんを、ぼうぜんと見ていた。
あと、どうなったか、おぼえてません。