きのう、母のいる施設に行った。
母の隣の部屋のSさんが亡くなっていた。立派な老婦人だっただろうな、と思える方であった。話は、ほとんど通じなかった。スケッチブックが二冊あって、Sさんが、まあまあのウデであったことがわかる。
そのスケッチブックが、二冊とも残されていた。「形見の品」「思い出のスケッチブック」にはならなかったようだ。見ているだけでつらいスケッチブックなのかもしれない。難しい。
入居者がなくなると、「終わりましたね!」「ご苦労様でした!」と思う。
人の一生というのは、死ななければ終わらない、という当たり前のことを、つくづく感じる。
同じフロアの入居者で、Sさんの死に気づく人はいない。
行くも残るも、あっさりしたものである。
80代男性、Nさんがノートをひろげている。ゴルファーの写真が何枚もある。「ゴルフダイアリー」だ。
日本のゴルフ場の一覧表みたいなのがあった。ところどころピンクのマーカーでしるしをしてある。Nさんが行ったことのあるゴルフ場なのだろう。
かなりいろんなところに行っている。
「ゴルフは、かなりしてはったんですね」
「ま、だいぶやりましたな」
「ウデは?」
「え〜かげんなもんだ」
「シングルですか」
「あはは、そのへんで、やめとこ」
Nさんは、生前、じゃなかった、お元気なころは、当意即妙、ユーモアのある受け答えで、にぎやかな人だっただろう。
ノートには、Nさんの字と思える、判読に苦労する字が所々書いてある。そして、筆で、大きくはっきり書いた字もある。
「おじいちゃん、少し静かに過ごしましょう」
奥さんの字ですね。ボケの進行中で、うるさい時期があったのだろう。泣きたい気持ちで訴えている。奥さんにとって、つらい時期だったにちがいない。
別のページに、また筆で書いてある。
「ありがとう、そのひと言ですくわれる」
わけのわからない中で、一瞬Nさんが奥さんを見て、「ありがとう」と言ったのだろう。読んでいる私も救われる。
Nさんが鉛筆を持って何か書き始めた。
「4:45」
「9、30」
数字は上手だ。
ボケたNさんが書く上手な数字は、なんとなくさびしく見える。