若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

日本アパート3

日本アパートには、立派な門があった。
門から玄関まで、セメンで固めたS字型の歩道があった。

門の横に八百屋があった。
この八百屋でよくりんごを買った。
母から、「りんごを食べなさい!」といわれていたからだ。
夫婦でやっている八百屋だったが、おかみさんしかおぼえていない。
小学生の娘がいて、おかみさんが「とこちゃん、とこちゃん」と呼んでいた。

アパートの近くに、小さな商店が並んでいる一角があった。

中華料理の「青葉軒」には4年間通った。
おばさんが一人でやってた。
「お母さんの料理が懐かしいでしょうから、魚でも焼いてあげましょうか?」といってくれる親切なおばさんだったが、ここの焼きそばほどまずいものは食ったことがない。

隣は小さな電器屋だった。
下宿するとき、母がついてきて、この電器屋で家電製品をすべて買った。
蛍光灯スタンドと、トースターと、湯沸しポットだ。
四年間、私の部屋にある金目のものは、これだけであった。

今にして思えば、母は、大事な息子の下宿生活を、非常に心配していたのだ。
電器屋の店先で、自分に言い聞かせるように、「このあたりは静かな住宅街で安心しました」といった。

電器屋の主人は、人情の機微がわからない、軽薄な男だったようだ。
よせばいいのに、「まあ、このあたりはいいんですがね、伊勢崎町や日之出町には、ややこしいのがうろうろしてますからねえ」といった。

どこにあるかもわからない伊勢崎町や日の出町に、ややこしいのがうろうろしてようがしてまいがどうでもいいようなもんだが、母にとっては聞き捨てならぬせりふだった。

きっとなって、「そんな人、相手にしなければいいんでしょ!」と詰め寄った。
伊勢崎町や日の出町で、ややこしいのをうろうろさせてるのは、電器屋の主人の責任だといわんばかりの勢いであった。

母の勢いにたじたじとなりながら、またよせばいいのに、「相手にしなくったって、向こうからからんできますよ」といったから母の不安は最高潮に達した。

「じゃあ、どうしたらいいんですかっ!?」

今、目の前で、私がややこしいのにからまれてる緊迫感だ。
つかみかからんばかりの母の剣幕に、なぜ自分が問責されねばならんのかわかっていない主人は、「い、いや、そ、それは・・・」としどろもどろになって、母から目をそらしてトースターを包装し始めた。