12月27日、母が死んだ。
要介護老人施設に入って14年目、1月4日に94歳の誕生日を迎えるところだった。
12月20日ごろから熱を出していた。
この数年、冬になると体調を崩し、春になると持ち直すという状態の連続だったので、今回も、相当衰えてはいるものの、持ちこたえるのではないかと思っていた。
27日の午前4時ごろ、施設から電話があって、血圧がかなり低くなっているという。
スタッフの方たちは、これまでとは違う状態だと判断して電話をくれたのだろう。
家内と駆けつけたが、見た目には、大きな変化は感じられなかった。
呼吸をするのが、今までより苦しそうかなとは思った。
ただ、まばたきをまったくしない。
スタッフの方が、まつげを触っても閉じなかった。
反射的に眼を閉じるということもできなくなっているようだ。
二時間ほどたっても、状態に変化はなく、7時ごろ、家内に、朝食をとってまた来ようかといったら、このままいるほうがいいという。
呼吸が少し弱くなっているというのだ。
そういわれるとそんな気もしたので、そのまま見ていたら、7時15分ごろ、急に呼吸が乱れてきた。
そして、それまで開きっぱなしだった眼を、ぎゅーっとつぶった。
ぎゅーっ、ぎゅーっと、四回眼を閉じて、少し大きく息を吸って動かなくなった。
眼を閉じたのは、なんだったのだろうか。
最後の力を振り絞って息をしたのだろうか。
安らかな最後だった。
私と家内が見守る中で、静かに息を引き取った。
よかったな、と思った。
ご苦労様と思った。
この施設で、何人もの方が亡くなった。
そのたびに思ったのは、ご苦労様でしたということだ。
さびしさは後から感じるが、亡くなった時は、これでよかった、ご苦労様でしたという気持ちでいっぱいになる。
望みうる最良の介護をしてもらえたと思うからだろう。
母にとっても、父や私たち家族にとっても、心安らぐ場で、最後の十数年を過ごせたことは幸せであった。
この二十年ほど、母と私たちにとって、いろんな意味で非常につらい年月であったが、終わりよければすべてよし。