若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

プレゼント?

きのう、家内が、近鉄奈良駅構内の喫茶店で昼食をとっていた時のことです。

最近多いですね。
駅の中のお店。

カウンター席に座ってました。
カウンターの中には、太い柱が立ってる。
カウンター席には、家内のほかには、二つ三つ離れた席の80代と思える女性だけだった。

家内が、見るともなしにその柱を見てたら、その女性が、「その柱は、駅の柱をそのまま使ってるんですよ」と声をかけてきた。

言われて、駅構内を見たら、同じような柱が立ってた。

「ああ、そうですね」と返事をした。

すると、その女性は、「奈良駅はいつから地下になったんでしたかね」と話を続けた。

家内が、「私が高校のころは・・・」などと答えていたら、身の上話みたいなことを話し出した。

話し好きな人だなあ、さびしいのかなあ、と思いながら相槌を打ってた。

歌や踊りが好きで、宝塚やOSK(大阪松竹歌劇団)にあこがれていたそうだ。
しかし、教育一家で、とてもその道に進むことは許されず、四年制の大学に進んだ。

家内が、「そのお年でしたら、女性で四年制大学は少ないですよね」と言ったら、「そうですね。結局、教職を全うしたんですけどね」と言った。

そのとき、家内のアタマに、ビビビビッ!と強烈な電流が走った。

電流の走るまま、「何年のお生まれですか!?」と勢い込んで尋ねた。
なぜそんな質問したか自分でもわからない。
電流のせいである。

「昭和3年です」
「伊藤先生!」
「!?!?」

二十数年前、我が家は、東大阪市から奈良市に引っ越しました。
その時、長女と次女が転校した小学校の校長先生だったんです。

家内が先生と一対一で会ったのは、転校のあいさつの時だけ。
その時、信頼できる立派な先生だと思ったそうです。
転校ということで、不安を感じていただけに、強い印象だったようです。

その後、先生が奈良市で最初の女性校長であることを知ったり、先生が、家内の母と同じ昭和3年の生まれと知ったりで、深い記憶に残っていたようです。

で、「何年のお生まれですか?」という質問がとっさに飛び出したんですね。

もちろん、先生の方にはこちらの記憶はありませんが、大いに話が弾んだそうです。

人生のちょっとしたごほうびというとこですかね。