私にとって「懐かしのメロディ」というと、中学、高校の時に聞いたアメリカンポップスです。
その中でも、「ルイジアナ・ママ」は好きな曲です。
1961年のジーン・ピットニーの曲で、気楽で呑気でテンポが良くて明るい。
日本ではヒットしたけど、アメリカでは売れなかったそうです。
今でもよく聞きますが、聞くたびにY森さんを思い出す。
ヤマハでエレキギターを習っていたころ、私よりいくつか年上のY森さんがボーカルを習いに入ってきた。
Y森さんが、最初の発表会に選んだのが「ルイジアナ・ママ」でした。
今は天国のY森さんですが、存命中はここで散々書きました。
天国から見られてると思うと、あんまりなことは書けない。
声はよかったです。
伸びのある高音がご自慢でした。
問題はリズム感であった。
歌さえ歌わなければ問題にならないんです。
歌も、小学唱歌なら問題にならなかったと思う。
なんのタタリかアメリカンポップスを歌いたいというヘンな野望に取りつかれたため、リズム感が問題になったんです。
もう一つの問題は、英語であった。
アメリカンポップスさえ歌わなければ問題にならないんです。
歌も、小学唱歌、以下同文。
さて、最初の発表会のための最初の練習の時、Y森さんが歌いだしてすぐ、英語とリズム感に大きな問題があることがあからさまになった。
「日本語で歌ったらどうですか」と言ったら、「英語で歌うことにこだわりがあるから」という返事だった。
「英語で歌うのは難しいでしょ」と言ったら、「英語はやっとるから」という返事だった。
「英語をやっとる」とはどういう意味かしばらくしてわかりました。
定年退職後、英会話教室に通ってたんです。
二回目の練習の時、Y森さんが楽譜立てに置いた歌詞カードを見て驚いた。
カタカナで書いてあった。
「シー・イズ・マイ・レッド・ホット・ルイジアナママ」
「これでは歌えないでしょう。歌詞を読んでカタカナにするのじゃなくて、歌を聞いてカタカナにしたらどうですか。『シー・イズ・マイ・レッド・ホット』じゃなくて、『シンマレハ』という感じだと思いますが」
ジーン・ピットニーが歌う「ルイジアナ・ママ」を聞くたびに、「シーイズマイレッドホット」を四つの音符に無理やり押し込もうと脂汗を流して悪戦苦闘するY森さんの姿が目に浮かびます。
「ルイジアナ・ママ」だけじゃなく、「ダイアナ」を聞いても「オオキャロル」を聞いても「恋の片道切符」を聞いても「砂に書いたラブレター」を聞いても「ブルースエードシューズ」を聞いても「小さな悪魔」を聞いても、Y森さんが悪戦苦闘する姿を思い出してしまう。
Y森さんが得して私が損してると思います。