『古川ロッパ昭和日記』を読んでます。
舞台で大当たりしたロッパさんは映画にも引っ張りだこだった。
子役がからむ映画があって、撮影所に行ったら、手違いで子役が来てなかった。
あわてた担当者が、その子役が通ってる小学校に行って、授業中の子役を教室からひきずりだして無理やり連れてきたそうです。
同じ映画に2歳か3歳の中村メイ子さんが出演してて、ロッパさんは「この子はいい!」と何度もほめてます。
ロッパさんが仕事で九州に行った時のことを書いてます。
もちろん鉄道ですが、ちょっとぜいたくして展望車(1等車)を利用した。
一番後ろの車両ですね。
景色を楽しめると喜んでたんですが、12月のことで非常に寒い。
スチーム暖房なのでなかなか温まらず、展望車が温まったのは沼津を過ぎてからだったそうです。
東京から沼津まで暖房なし。
ちょっと時間がかかり過ぎだと思うんですが、この「スチーム暖房」というのは先頭の機関車で作った蒸気を後ろの客車に順番に送っていくんでしょうか。
それで一番後ろの展望車の暖房が沼津からになってしまったのか?
1等車の暖房が一番あとって、いくら昭和10年代とはいえおかしいと思いますが。
冷房はこのころ普及し始めたみたいで、夏の興行は冷房のある劇場の勝ちだと書いてます。
美食家のロッパさんですが、旅先の九州でいやいやフグを食べてます。
こわかったようです。
今回ばかりは付き合いで仕方なく食べたけど二度とごめんだ、命がけで食べる人の気が知れないと書いてます。
このころのフグ料理は相当危険だったんでしょうか。
時代がちがうとわからないことが多いですが、カネのねうちもわかりにくい。
ロッパさんは、関西地方が縄張りの大親分にかわいがられてます。
親分は楽屋に来るといつも50円、100円と祝儀をくれるんですが、あるとき1000円もらってロッパさんは「これは困った」と困惑してます。
何百万円、いや千万円くらいでしょうか。
ヤクザの大親分に千万円もらったら困りますよね。
もらうカネも多いんですが、ロッパさんにもらいに来るやつも多い。
20円30円とわたしてます。
出入りが激しすぎて、ロッパさんは自分のふところ状態がわかってなかったと思います。