今日は3月12日で長女の誕生日です。
10年前のきのうは乗馬クラブの送迎バスでラジオを聞いてた。
東北地方で大きな地震があったということでアナウンサーが現地のリスナーと電話で話してた。
ふつうに話してた。
そのうち現地の男性が「津波だ!」と言った。
「見えるんですか」
「窓から見えてます」
「どんな津波ですか」
「大きな津波です」
「だいじょうぶですか」
「だいじょうぶです」
二人のやり取りを聞いて、だいじょうぶなんだと思った。
とんでもないことがおきてた。
当時テレビを見ながら、これだけ克明に大惨事が記録されたのは人類史上初ではないかと思った。
その後『砂の城』という小説を読んだ。
明治、昭和の大津波を描いた小説で、読んで私にしては珍しく考えこんでしまった。
津波のたびに「二度とこのような悲劇を起こしてはならない」と行動を起こした人たちがいる。
その姿を描いている。
小説の中で明治の津波の時あちこちで建てられた記念碑は5年もすれば忘れられたと書いてある。
この小説は今回の津波の前に出版されてる。
著者は津波の記念館の職員で、「大津波が近い!」と訴えても耳を傾ける人がないので小説を書いた。
どうしようもない話である。
今回の津波の克明な大量の記録は私たちにとっていったいなんなのであろうか。
どういう意味があるのだろうか。
次の津波が来たときにわかるのであろうか。
知りたいような気もするし知りたくないような気もする。