『英語区切り方教室』を読むと、英文を書くときコンマとかコロンとかの使い方が非常にややこしく難しいものだということがわかります。
英語を書く身分じゃなくてよかった。
あまりにややこしいので文豪と言われる人たちも悩んだ。
ワーズワースみたいに悩んで自信喪失して印刷屋に「句読点についてはおまかせします」というような人もあった。
シャーロット・ブロンテは原稿を直してもらって喜んでるし、アルフレッド・テニスンもお礼の手紙を書いてる。
「いろいろ修正ありがとうございます。ずっと読みやすくなりました。ご指摘の点については今後気を付けますのでよろしくお願いします」
謙虚というより頼りない。
芸術家らしくないと思います。
マーク・トウエインは芸術家らしいです。
「黙れ!印刷屋風情に何がわかる!これが俺のやりかただ!口出しするな!」
印刷屋との長く激しいバトルが続いたそうです。
原稿を修正されたときの怒りはすさまじい。
「校正係を撃ち殺せ」と電報を打ってます。
校正係を憎みぬいてこんなことを書いてる。
「神は初めにバカを創った。これは練習であった。本番で校正係を創った」
著者のデビッド・クリスタルは、当時の印刷屋も大変だったと同情してます。
シャーロット・ブロンテが句読点に悩んだと言っても原稿用紙に向かって悩んだわけじゃない。
イギリスに原稿用紙なし。
原稿用紙がなくて原稿が書けるのか。
良い質問ですが難しいのでパス。
イギリスの作家が同じ大きさの紙に清書して印刷屋に回すようになったのは19世紀の後半だそうです。
それまでは大きさもまちまちの紙の裏表に書いたり消したりぐちゃぐちゃのを渡してた。
印刷屋にしてみればそのぐちゃぐちゃを「読めるようにしてあげるのが仕事」という感じだった。
家内の父親が「自分史」を書いたことがあった。
それをワープロで打ってあげましょうと言って原稿を預かって困惑した。
文章になってない。
主語と述語がつながらないというのはマシな方であった。
はじめはいちいち確認してたんですが途中からめんどくさくなって勝手に書き換えた。
父はそれに気づきませんでした。
私はどうでしょうか。
少々書き換えられても気づかないような気もします。