エドワード・モースの日本滞在記を読んでます。
「西郷隆盛の反乱」も出てくるし、「きのう大久保利通が暗殺された」と言う記事もあります。
日本をほめてくれてるのでいい気分です。
明治10年、アメリカから来た学者というだけで強い立場だったと思います。
そのうえモースが何度も書いてるけどアメリカとくらべてすべてが安かった。
だいたい十分の一感覚だったようです。
東大教授としての給料はアメリカの何倍かだったはずだからそれだけでも日本に好感を持つのは不思議じゃない。
いや、モースはそれにひかれてきたんじゃないですよ。
研究のために来た。
でも気分は良かったと思う。
日本人はキリスト教道徳を身につけてるとほめちぎってます。
日本人が我々西洋人を「南蛮」と呼んだのは当然である。
フランス人宣教師を見て、「自分の国の国民を教育しろ」と言ってます。
日本びいきのモースですが、唯一好きになれなかったのは音楽。
何度聞いても「これを音楽と呼んでいいのか」と悩んでます。
ある所で男性声楽家の歌を聞いた。
きゅうりを大量に食べた消化不良の男がうなってるような感じだった。
しかしモースは理性的です。
「日本の絵を初めて見た時、風景は遠近法が無茶苦茶、人物も解剖学的に無茶苦茶だと思ったけど今は良さがわかる。日本の音楽も何十年かすれば良さがわかるのかもしれない」
鼓を見て「砂時計のような形の太鼓」と的確に描写してます。
道路工事とか大勢で力仕事をするときみんなで声を合わせて歌うのが印象的だったようです。
ただ、エンエンと歌って仕事は一瞬、またエンエンと歌っての繰り返しが非常に非効率だと書いてます。
心を一つに、一体感を高めてという歌も仕事の一部だった時代の記録ですね。
芝居も見に行ってます。
10時間以上続く。
アメリカの芝居とちがうのは夜の場面でも舞台が暗くならない。
暗くなるかわりに天井から三日月を描いた板がぶらさがる。
こんなばかばかしいことはないとあきれてます。
「『今は夜です』と書いた板をぶら下げた方がいい」
う~ん、私は三日月に一票。