社会人になってからは会社の近くの店に行くようになりました。
夫婦と若い職人という、当時の典型的な散髪屋でした。
いつの間にか店内に小さな紙箱がたくさん置かれるようになった。
職人によると、主人が副業でおもちゃに手を出しててその箱だと言うんです。
そのうち箱がどんどん増えて散髪屋かおもちゃ屋の倉庫かわからなくなってきた。
夫婦の顔も見なくなって、職人は「オレがやめたらどうするつもりやろ」と心配してた。
突然廃業のあいさつが張り出されて「〇〇理容店」は「〇〇玩具(株)」になった。
しばらくすると「〇〇玩具」もなくなった。
おもちゃが大当たりしたんだそうです。
で、会社の近くの別の散髪屋に行くようになった。
ここも夫婦と若い職人。
夫婦は鹿児島の人で、職人も鹿児島の若者だった。
ある時奥さんが「主人は大学を出てからこの仕事を始めたんですよ」と誇らしげに言った。
若い職人が「へ~!何大学?」と聞いた。
奥さんは「〇〇大学」と答えた。
職人はうれしそうに素っ頓狂な声をあげた。
「あ~!アホが行く大学じゃ!」
結婚してから家の近くの散髪屋に変えた。
駅前のよくはやっている店で席は五つか六つ、職人も何人もいた。
初めて行った時「カルテ」みたいなのに住所氏名とか書かされた。
散髪が終わると奥の喫茶コーナーでコーヒーを出すというやる気満々の主人だった。
ある時主人が私の髪を刈りながら若い時はどんな髪型だったのか聞いた。
「慎太郎刈りにしてた」と答えたら一瞬ハサミの手を止めてじ~っと私を見つめた。
「おたく、若(わこ)みえるけどかなりのトシやな」
この店には30年通った。
初めのころ店で遊んでた女の子がセーラー服になり、結婚して男の子を連れてきたと思うと、その男の子が髪の毛を緑色に染めて主人に怒られるという30年だった。
月日の経つのは早い。
やる気満々だった主人もトシとともに繁盛店がしんどくなり職人の確保もままならず、駅前から奥まった小さな店にひっこんで夫婦二人、若いころに戻ったと笑ってた。
そのころには私は完全に「常連客」の扱いを受けるようになっていた。
たとえば私が店に行っても主人は奥で大工仕事の手をとめない。
一区切りついてから「お待たせ~」と出てくる。
またたとえば私の前で派手な夫婦喧嘩をする。
主人がハサミ、奥さんがカミソリを持ってるので危なくてしかたない。
仕事をやめてからもしばらくこの店に通ったけど、主人の奥さんに対する態度がどんどんひどくなって嫌気がさしてやめた。
今は自治会の同じ班の散髪屋さんに通ってます。
徒歩1分。
この住宅地ができたころからの古い店です。
席数は二つ、夫婦二人の50年の伝統の店。
先日行ったら散髪のイスが新しくなってた。
古い店内でぱっと目に飛び込んできた。
奥さんに「イスが新しくなりましたね」と言ったらニヤッと笑った。
意味ありげな笑いである。
あれ、ちがったかなともう一度見たけど、ピカピカの新しいイスです。
「イス、新しくなったでしょ」
「はい、3月から」
ええ~~!
月一度の散髪だから、4月5月6月とこのピカピカの椅子の気づかなかった?
ショックであった。
ここが私の最後の散髪屋になるはずだったんですが、う~ん、ちょっと自信がなくなってきました。