「コロナオリンピック」といっても、各種コロナウイルスたちが持てる力と技を競い合う大会ではない。
競い合ってるのかもしれない。
伝染力とか毒性とか。
しかし、ここでは「コロナまみれのオリンピック」という意味です。
オリンピックにコロナを振りかけたらこうなった。
オリンピックにコロナをトッピングしたらと言った方がおしゃれかもしれない。
「コロナに呪われたオリンピック」と言ってもいい。
「コロナがあぶりだしたオリンピック」と言ってもいい。
コロナのおかげで延期になってごたごたしたので今まで見えにくかったことが丸見えになった。
延期になってなければ今まで同様あまりぼろを出さずに逃げ切れたかもしれない。
ぼろぼろである。
気の毒である。
オリンピックをテレビで応援してません。
目に入ることはあります。
家内が見てるから。
家内は私に隠れてオリンピックを見てる。
ひとりでこっそり見てて私の気配を察するとあわててチャンネルを変える。
変えても変えてもオリンピックなのでしかたなく消す。
開催か中止か国論二分の今回、全国の家庭で似たようなことがおきてると思う。
妻に隠れてオリンピックを見てる夫、親に隠れて、子供や孫に隠れてオリンピックをテレビで応援。
世も末である。
私がテレビでオリンピックを応援したくない理由はいくつかあります。
ひとつは、「ヤクザが主催するイベントを見たくない」という感じに似てる。
あるいは、「無責任で虚言癖のある性格破綻者が主催するイベントを見たくない」と言ってもいい。
なんかそんな感じです。
誤解されるといけないから言っときますが、オリンピック関係者がヤクザだとか性格破綻者だとか言ってるのじゃないですよ。
言ってる?
そうかな?
オリンピックをやめるタイミングはいくつかあった。
一番早いのは、2013年、オリンピック招致の文章で、「この季節は温暖で晴れの日も多く競技に理想的です」と書いた時である。
この文章を書いた瞬間、東京オリンピックは終わってるはずである。
完全に終わってる。
誰が見ても終わってる。
誰が書いたか知らんけど、いろんなえらい人が見てるでしょ。
金銭欲か権力欲に狂ったヤクザか常識のかけらもない性格破綻者以外のだれが見ても終わってる。
「こんなこと書いたらダメ!おしまい!」
ここまで来たのがおかしい。
繰り返し言っときますが、わたしは世界のオリンピック関係者や選手のみなさんが金銭欲と権力欲に狂ったヤクザか常識のかけらもない性格破綻者だと言ってるわけじゃないので誤解なきようお願いします。