ときどき、私の脳に聞きたい!と思うことがあります。
「なんでこんなことおぼえてるの?なんで突然思い出すの?」
さっき、「クルスカンプ」という言葉が突如頭に浮かんだ。
浮かんだのはいいけど「クルスカンプ」ってなんだ?
う~ん・・・子供時代の話だなあ。
大リーグの監督?
いや、プロレスの選手かレフェリー?
ネットで調べました。
「ミック博士の昭和プロレス研究室」というところにありました。
ハーディ・クルスカンプ(1913~1994)アメリカ出身でニックネームは「アリゾナの毒蛇」。
1955年の一度だけ日本に来たとなってます。
いっしょに来たというプリモ・カルネラやジェス・オルテガの名前もおぼえてます。
そこまではいいんですが1955年というと私は9歳、我が家にテレビはないんです。
少年雑誌で読んだんでしょうか。
一度だけ日本に来た脇役プロレスラーの名前をなぜおぼえててなぜ突然思い出すのかホントに私の脳に聞きたい。
上の写真もネットで見つけました。
写真の持ち主はアメリカの人で、その人のおばあさんは掃除婦だった。
おばあさんの得意先の弁護士がプロレスファンでプロレスラーの写真を集めてた。
おばあさんが弁護士からもらった写真を孫が売り出してて、すでに売れてました。
「昭和プロレス激闘史」というところにクルスカンプの日本での戦績が紹介してありました。
そこで見るとプロレス大会はいろんな名目で開催されてます。
「遺族会慰問」というのもあります。
「マナスル登山隊」も強く記憶に残ってます。
1956年、日本が初めて8000メートル級の登頂に成功した。
NHKの「10大ニュース」になってます。
日本中大騒ぎで登山ブームが起きたそうです。
この時の記録映画を見てます。
小学校から見に行ったのだったか?
初登頂までの道のりは長く厳しかったようです。
1952年調査隊派遣。
1953年第一次登山隊登頂失敗。
1954年第二次登山隊は現地住民の抵抗によりマナスルを目指せなかった。
住民の主張は、前年の第一次隊が聖地を汚したため雪崩が起きて僧院が倒壊し伝染病が発生したというものであった。
1956年第三次隊は現地で祈祷を行い20万円を寄付して許してもらったそうです。
クルスカンプさんのおかげでマナスル登頂。
黙祷。