「負けるのがキライ」なのに「負けず嫌い」はおかしい。
おかしいと思うのがおかしいほど使いこまれてます。
孫たちを見てると皆さん負けず嫌い。
まだかわいい負けず嫌いです。
小学2年生のしょうちゃんが紙粘土で作ったトキをほめたら妹のみいちゃんの顔色がぱっと変わったなんてのもかわいい。
小学2年生のあきらくんが兄の5年生ゆうちゃんとママと人生ゲームをしてて泣き出したという話。
ゆうちゃんはもう負けても落ち着いたものらしいです。
心中穏やかではないでしょうが取り乱さない。
そのゆうちゃんも幼稚園の頃「坊主めくり」で号泣したことがある。
断然優勢だったのに最後の最後に坊主が出てすってんてんになってしまって大泣きした。
大泣きするゆうちゃんに一つ年下のことちゃんがやさしく「ゆうちゃん、坊主めくりで最後に坊主が出るのはよくあることなんだよ」と高僧か儒学者みたいなことを言った。
我が家でも昔は娘たちとトランプをすると最後には必ず激しくののしり合いなきわめくという修羅場を迎えるので何度も「もう二度とトランプはしない!」と誓ったもんです。
自分のことは忘れてますが、学生のころサマセット・モームの随筆を読んでたらトランプについて書いてました。
子供のころ負けるとテーブルの下にもぐりこんで泣いたというんです。
それを読んで「あ、おんなじや」と思ったので、私も負けて泣いたことがあったんでしょう。
わざわざ必ず勝ちと負けがある設定を作りあげておいて勝てば喜び負ければ泣くというのもヘンと言えばヘン。
東南アジアのどこかの国に、相手を負けさせないように競う(?)ゲームがあったと思います。
これもヘンか。
まあ、人間はヘン。