エドセルというのはアメリカのフォード自動車が1957年に売り出した乗用車です。
社運を賭けた一大プロジェクトで、綿密な市場調査と大々的宣伝にもかかわらず全然売れず歴史に残る名前になってしまった。
企業の失敗の代名詞になってよく引き合いに出されるので英和辞典にも出てるほどです。
今読んでる本(ズルズル続くややこしい英文の本)に「エドセル命名秘話」が出てきます。
エドセルというのは創業者ヘンリー・フォードの息子で二代目社長の名前なんですが、その人は1943年に惜しまれつつ亡くなった。
社運を賭けた車に、プロジェクトチームのメンバーたちが亡き社長の名前をつけたいというのはわかる気がします。
ところが当時の社長でエドセルさんの息子のヘンリー・フォード二世が反対した。
「おやじは自分の名前がホイールキャップに刻まれてクルクル回ってるのを喜ばないと思う」と言ったんです。
しかたなく社運を賭けた大々的市場調査が始まった。
調査会社に依頼してニューヨークやシカゴなど五つの都市でアンケート調査をした。
2000(!)の候補名をあげてイメージを聞いたそうです。
で、その大々的調査結果を見たフォードの重役たちの結論は「よ~わからん」というものだった。
その時フォードの副社長が、「社運を賭けた車の名前を大衆の多数決で決めるようではダメだ!必要なのは天才のひらめきだ!詩人に頼もう!」と言ったんです。
いいんじゃないでしょうか。
日本なら谷川俊太郎さんに頼むみたいなもんです。
で、当時有名だったマリアンヌ・ムーアという詩人に頼んだ。
詩人はひらめきでいくつか候補をあげてくれた。
それを見たフォードの重役たちの反応は「なんじゃこれ?」というものだった。
この詩人は信仰心あつい清教徒の家庭に育ったカタイ人だったみたい。
「先生、この度わが社から出す車の命名をお願いします」
「う~ん・・・『雨にも負けず風にも負けず』はどうですか?」
「い、いや、車の名前なんですよ」
「車の名前でしょ。いいんじゃないですか。『雨にも負けず風にも負けず』で」
「ダンプカーじゃないんですよ。乗用車なんで親しみやすい呼び名がいいんですが」
「じゃあ、『又三郎』!」
「た、たしかに親しみやすいですが、できればカタカナでお願いします」
「じゃあ、『セロ弾きのゴーシュ』」
詩人はあきらめた方がいいと思ったフォードは大手広告代理店に依頼した。
頼まれた大手広告代理店は社員から名前を募集したというんですからお手軽です。
選ばれた人にはその新車を1台プレゼント!
応募が殺到した。
18000!
これでは多すぎると思った広告代理店は18000を6000にしぼってフォードに提出した。
6000の候補名を見たフォードの重役たちは「これはあかん」と思った。
売り出しの日は近づくし、フォード家の人たちを説得して第一案の「エドセル」にしたという気の毒な話である。