若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

金原明善

金原明善(きんばらめいぜん)」という名前は私の脳に深く刻まれてます。

おぼえてるとか記憶に残ってるというようなものじゃない。

脳にしみついてる。

もう一つしみついてる名前は「中甚兵衛さん」。

どちらも小学校で習った。

小学校で習っただけなのにしみついてる。

中身はほとんどおぼえてなくて二人とも「社会事業家」として習ったと思います。

なぜ金原明善が呼び捨てで中甚兵衛がさん付けなのかなのか。

たぶん金原明善は教科書に出てきた人で、中甚兵衛さんは私が住んでた東大阪の人のなので「郷土の偉人」として副読本か何かで紹介されたからだと思います。

この二人の名前を知ってることは誰にももらしてない。

私の秘密と言ってよろしい。

どういうわけか時々脳に浮かんでくる。

 

先日家内が大学時代の友人に電話した。

その人とは卒業以来年賀状のやり取りだけだったけど、おたがい一瞬で学生時代に戻って1時間半しゃべりまくった。

興奮冷めやらぬ家内が、「その人と知り合った時、静岡の豊田というたいへんな田舎から出てきたといった」とかいろいろ思い出話をした。

で、「たいへんな田舎」ってどんなとこかと調べました。

1970年代に「村」から「町」になったということくらいしかわかりませんでした。

その豊田町の「出身有名人」のところに、なんと、「金原明善」!

こんなところでお目にかかろうとは!

家内たちは大学卒業以来の会話だけど私と金原明善さんは小学校卒業以来の再会ですよ。

60年以上私の脳に封印されていた金原明善さんがやっと日の目を見たという感じです。

よかったよかった。

天竜川の治水工事などに尽力された方のようです。

ちなみに中甚兵衛さんは大和川の治水工事でした。

中甚兵衛さんについては学芸会か何かでクラスで発表して、全員で「なか!じんべ~さん!」と声を張り上げたことを思い出しました。