時々思い出す言葉である。
高校3年の時国語の教科書で見た。
小説や詩の題名ではありません。
隣の席のA君の机に国語の教科書がひろげてあった。
その国語の教科書の余白にA君のヘタな字で「1分間に67回の旅」と書いてあった。
意表を突かれる思いであった。
哲学性、抒情性を感じた。
シュールレアリスムの詩人アンドレ・ブルトンやギヨーム・アポリネールの詩が頭に浮かんだ。
シュールレアリスムもアンドレ・ブルトンの詩もギヨーム・アポリネールの詩も知らないのにそんなことが浮かぶとは私の知ったかぶりとはったりは高校時代からなのだと感心する。
さて、A君と「1分間に67回の旅」が結びつかない。
A君には哲学性もなければ抒情性もなく、シュールレアリスムもブルトンもアポリネールも関係ない。
と思ってた。
A君に「セーターガールという英語知ってるか」と聞かれたことがあった。
知らないと答えると「胸の大きな女の子のことだ」といばってた。
そういう人なんです。
そういう人が「1分間に67回の旅」と書いた。
意外な一面を見た思いがした。
やられた、というか出し抜かれたというか先を越されたという気がした。
「1分間に67回の旅」とは?
考えてもわからないのでA君に聞いた。
「1分間に67回の旅ってどういうこと?」
「??1分間に67回の旅?なんやそれ?」
私が指さすとげらげら笑った。
笑いながら教科書を私の目の前に突き付けた。
「1分間に67回の脈」
さっき計ったんだそうです。
A君に意外な一面なんかなかった。
なんにもなかった。
バカではないかと思った。
思ったんだからしかたない。
高校3年の時私の隣の席になって脈をはかったばかりに卒業以来ずっとバカではないかと思われ続けているA君が気の毒と言えば気の毒である。