最高裁裁判官の国民審査を海外の日本人ができないのは違憲であるという判決が出ました。
私はこれまで市民として肩で風を切るとまではいかんけど胸を張って生きてきました。
(個人としてじゃないですよ)
唯一の弱点は最高裁裁判官国民審査をまったくないがしろにしてきたと言うことです。
考えたことなかったです。
我ながらちょっとどうなのかとは思ってました。
今回の判決を機会に考え直すかどうかちょっと考えさせてください。
最高裁について初めて考えたのは学生時代です。
日本の新聞記者がアメリカの新聞記者に質問された。
聞かれた記者は「???」だったそうですが読んだ私も「???」でした。
知らんがな、という感じですよね。
アメリカ関連の本を読んでると「オリバー・ウエンデル・ホームズ」という名前がちょこちょこ出てくる。
最高裁長官だった人です。
よほど有名で影響力のある人だったんでしょう。
この人以外でも時々最高裁の判事の名前が出る。
「憲法を解釈するというのは憲法を作るのといっしょだ」と言った判事がいるそうで、なるほどそれは一大事だと思いました。
アメリカでは妊娠中絶から進化論、天動説まで裁判に持ち込まれる。
次々と「進歩的判決」が出てる。
地方の裁判官は選挙で選ぶのが多いそうです。
で、どうなるか。
「保守派」がものすごい金を使って選挙運動をするようになったそうです。
「学校で進化論だけを教えるのはおかしい」という候補を応援する。
そうなると裁判官を選ぶというより政治家を裁判官にしてるようなものだという意見もある。
ややこしいですが私がもうちょっと国民審査に関心を持った方がいいことはたしかであると思われる。