有名な建築家に設計を頼んでひどい目にあったという話は時々目にします。
身近なところでは「なら100年会館」。
市制100周年を記念して作られた多目的ホールで、設計は磯崎新さん。
有名な方だと思います。
できてすぐコンサートがあって参加した音楽家が文句を言ってた。
「大きな楽器をエスカレーターで運ばなければならない。身の危険を感じた。」
劇場なのに大道具の出し入れに苦労するとかいろいろあります。
画家の野見山暁治さんのエッセイ集『とこしえのお嬢さん』で建築家の篠原一男さんを取り上げてます。
知らないけど大物みたい。
個人住宅も手掛けてる。
大物だから頼むほうも大物。
野見山さんもアトリエ兼住居を頼んだ。
野見山さんは気に入ってるけど奥さんが気に入らない。
篠原先生に文句を言った。
「キッチンが狭すぎて落ち着いて食事ができません」
篠原先生はにこりともせず言った。
「食べ物のことを気にするのは下等動物です」
野見山さんは施主が篠原先生に食ってかかる現場を何度も目撃してる。
詩人の谷川俊太郎さんは、「1階が全部土間なんて家ありますか」と詰め寄ってた。
日本画家の中村正義さんは「おれは大金を払うんだ!オレのカネで自分の道楽されてたまるか!」と激怒してた。
どんなときも篠原先生はいたって冷静だそうです。
「私は住む人の利便性を考慮して設計はいたしません。私が作った空間がそこに住む人間を鍛えてくれるはずです」
空間が鍛えるってどういうこっちゃ?
毎日芸術賞の授賞式でのあいさつがすごい。
篠原先生は、これまで設計した数十軒の個人住宅のうち、多くは譲渡されたり改造、改装されたり、離婚、親子絶縁の種になったりして、設計のまま無事住まれているのは1割ほどだと告白というか豪語というか懺悔というか、懺悔でないことだけは確かなようなあいさつをされたそうです。