若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

『電源周波数統一までの北九州工業地帯の電力事情と戸畑発電所の役割』

伯母、立花富のことを調べようとネットを見てたらこのむずかしくてややこしそうな論文の中に伯母の名前が出てきたのでびっくりしました。

北九州高等専門学校の加島篤さんという方が書かれたものです。

 

伯母が幼児教育の世界で活躍したことは知ってました。

戦後すぐ九州に住んだことも知ってましたが、伯母と「北九州工業地帯の電力事情」とは結び付かない。

米軍の占領下にあったことが結びつけたようです。

 

「(連合軍最高司令部の)九州地方軍政部・女性問題担当官シャーロット・クライストは度々戸畑市を訪問し、米国の婦人活動を紹介しつつ民主的な婦人団体のあり方を説いたという。クライスト氏と戸畑の婦人たちとの意思疎通を助けたのは、婦人会の指導者の一人で英会話に堪能な立花富であった。

立花は米国ジョージ・ピーボディ師範大学の卒業で、戦前はランバス女学院保母専修科で主任保母を務めていた。戦後は、昭和25年4月に創立された西南女学院短期大学の教員となり、のちに同大教授となった。

立花は昭和23年に結成された中原婦人会の初代会長である。昭和26年には戸畑市婦人会協議会の会長を務めており、中原婦人会は立花会長の下で、戸畑発電所の降灰と煤塵の調査や対策求める行動を行った可能性が高い」

 

ふ~ん。

公害問題と取り組んだということですね。

伯母さんが婦人会会長ならこっちは自治会会長ですがなんにも取り組まんかったなあ。

そう言えば伯母が遺したアルバムの中にテレビ番組に出た時の写真がありました。

タイトルはたしか「北九州名流ふっくら婦人大会」でした。

60代か70代の伯母は他の人とくらべて「ふっくら度」では負けてると思いました。

 

伯母は勲何等かをもらってるんですが幼児教育分野でなく法律分野でもらったというので友人知人からj不思議がられたと言ってたこともあります。

幅広く活躍してたんですなあ。

 

富伯母さんと言えば手土産のウニのビン1本を思い出してたのが申し訳ないです。