いわゆる「職業別電話帳」が廃止になるそうです。
個人用は去年で終わってたそうですが知りませんでした。
電話帳時代が終わった。
若い人にとっては「なんじゃそれは?」ということですね。
会社ではけっこう電話帳を使った気がします。
慶弔電報を打つためが多かった。
「もしもし、お悔やみ電報お願いします。文例の3番で表紙は3千円」
ウチの得意先で電話帳の表紙を作ってる会社があった。
そこで電話局用の特製電話帳があることを知った。
番号案内係が使う電話帳です。
問い合わせに答えて電話帳を激しく使う。
すぐ表紙がボロボロになる。
3か月に一度作ってた。
電話に関する一番古い思い出は親戚にあった電話室です。
廊下に公衆電話ボックスみたいなのがあったんです。
幼いころ母に連れられてよく行った。
子供心に大きな家だなあ、広い庭だなあと思ってました。
後で知ったんですが2千坪の大邸宅だった。
この家は私の祖父(母の父)が継ぐはずだった。
没落した旧家の長男だった祖父は学業優秀で立身出世を夢見て八幡製鉄に入った。
家はできの悪い弟に譲ってやった。
できの悪い弟は小学校を出て給仕として大阪ガスに入り副社長になった。
祖父は立身出世できなかった。
長年私にとって電話室が立身出世の象徴だった。
いつかは廊下に電話室のある家に住みたい!と思ったわけじゃないけど。
我が家に電話がついたのは高校のころです。
中学の時、友達に電話するのに近所の友達の家に電話を借りに行ったことがある。
その友達の家の電話は共同電話(?)で2軒でひとつ使ってて私が行ったときはたまたまほかの家が使っててすむまでちょっと待ってた。
高校の美術部の女性たちが1時間も長電話するというのでびっくりしたことがある。
社会人になってからの話では会社のAさんが自宅の電話を外して会社に持ってきたことがある。
娘さんたちの友達との長電話とおかあさんの長崎の親せきへの長電話で電話代が悲惨なことになってるとのことであった。