若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

青春

高校同窓会は青春のなれの果てという感じですが今や孫が青春突入です。

 

はなちゃん(高2)、ゆうちゃん(高1)が先頭を切ってます。

 

なかでもゆうちゃんのバスケットボールは目に見える青春である。

走り回るだけでも十分青春ですがシュートするときのゆうちゃんの「フンギャ~!」という表情は涙が出るほど青春。

 

ウチの息子は高校の時バレーボールをしてましたが特に青春とは思わなかった。

青春もええけど勉強は、という切ない親心。

試合も一度見に行っただけですがゆうちゃんの試合はすでに3回見てる。

 

長女が高校の時私は3年間PTAの役員として入学式や卒業式に出ました。

毎回校歌を歌うとき涙が出るのが不思議であった。

自分の時は校歌で泣いたりしなかったのに他人の卒業式でよその校歌で泣く。

 

先日のわが母校の同窓会でも校歌を歌いましたが高校の時と同じで感激しなかった。

今も長女の高校の校歌のほうが胸に迫ると思います。

 

ゆうちゃんの高校の校歌のほうがもっと泣くのではないかという心配は無用。

聞いてもアタマに残らない。

 

 

同窓会余話

高校時代の友人と話してると、みんな忘れてるなあと思うことが多いです。

もちろん私が忘れてて、そんなことあったかなあと思うこともありますがだいたい私が優勢。

 

思い当たるのはみんなは受験勉強に記憶力を使い果たしたのではないかということです。

他のことをおぼえる余力がなかった。

 

そこへ行くと私は受験勉強だけに記憶力を費やしてはならないと思ってセーブしてた。

セーブしすぎてえらい目にあいましたがそれはまた別の話です。

 

で、セーブした記憶力を受験勉強だけに使ったらよかったんですがどうでもいいことに使ってしまった。

美術部長だった小田君と前衛美術集団「具体美術協会」の展覧会を見に行ったことがあります。

中之島に具体美術協会の美術館があったんです。

「グタイピナコテカ」

これを小田君がどうしてもおぼえられないというのが不思議でした。

私にとってはおぼえやすいというより自然に頭に残るでしょという感じの名前でした。

 

私の脳はどうでもいいことをおぼえるのに向いてるみたいで持てる力を十分生かしたとは言い難い。

 

今度の同窓会で中学2年の時いっしょの組だったA君に会うのも楽しみにしてました。

まじめな秀才でクラス文集を作ることになった時当然編集長。

放課後男女数人が残って何をしたかはおぼえてないんですが帰りにみんなで駅前のうどん屋でうどんを食べたのが楽しい思い出です。

編集会議で私はA君に「編集長!」と呼びかけた。

それもふつうに「へんしゅうちょう!」ではなくてヘンな節をつけて「へんすう~ちょ~~」と呼んだ。

彼はにこりともしなかった。

彼がにこりともしないのがうれしくて調子に乗ってますますヘンな節をつけたけどますます面白くなさそうな顔をした。

 

その話を同窓会でしたんですが彼はひと言「おぼえてない」と相変わらず面白くなさそうな顔をしたのでうれしかった。

 

受験勉強も終わり仕事も済んだらあとはどうでもいいことが話の中心になってくるのでこれからが私の出番だ!と張り切るのもヘンかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

同窓会番外編

同窓会の幹事の一人A君に聞きたいことがありました。

 

A君はウチから1分ほどの所に住んでた。

もう一人の同窓生で十数年前に亡くなったB君はA君から数十秒の所に住んでた。

ウチとA君宅B君宅を結ぶと三角形になる。

秀才3人が住んでるところからこれを「ゴールデントライアングル」と呼ぶ人がいてもおかしくないと思うけど呼ぶ人はなかった。

 

B君とは幼稚園から高校までいっしょだった。

幼稚園は毎朝私が誘いに行った。

たまにB君のおばあさんもいっしょに家を出た。

女子大付属の幼稚園だったんですがおばあさんはその女子大の教授だったんです。

いつも和服で特に雨の日のおばあさんは幼稚園児の目に「特別礼装」という感じで立派に見えた。

 

中学の時B君に弟ができた。

B君の家に遊びに行ったとき初めて見る赤ちゃんがかわいくて相手になってたらお母さんが赤ちゃんに「このおにいちゃんはやさしくていいねえ」と言った。

私が「赤ちゃん愛」に目覚めたのはこの時です。

 

A君は小学高学年の時引っ越してきた。

ここからが本題のはずなんですが何が本題かすでに分からなくなってきてます。

 

母はA君のおかあさんと非常に親しかった。

私が家内と付き合ってしばらくしたころ母が家内のおかあさんはどんな人かと聞いたことがある。

「A君のおかあさんみたいな人」と答えたら母は非常に安心したようであった。

 

ウチにある「たち吉」の大皿小皿はA君のおかあさんからの結婚祝いだと家内が教えてくれました。

 

A君のお父さんは輸出用ミシンの仕事をしておられた。

中学2年の時母はそのミシンを買った。

大変安くしてもらったそうです。

大変安くしてもらったのはいいんですが輸出用なので説明書が英語だった。

母は私に訳してくれと言った。

中2の夏休みはミシン使用説明書の翻訳でつぶれた。

中2にミシン使用説明書の翻訳ができたのか。

知らん。

 

A君にはお姉さんとお兄さんがいた。

ウチの妹はお姉さんにピアノを習った。

母から見てお姉さんはお嫁さん候補として非の打ちどころのない人だったようで縁談のお世話もしてました。

お世話をするうちますます評価は高くなって「若いのに人を見る目がある。えらい人や」と言ってました。

 

私たちが結婚して間もないころ母が呉服屋さんを呼んで我が家の2階でA君のおかあさんといっしょに着物の品定めをしてた。

そこへ「新妻鑑」の家内が張り切って着慣れない着物を着てお茶を出した。

母とA君のおかあさんはたがいに「お宅の立派なお嬢さん」「お宅の立派なお嫁さん」、息子は頼りないけどとなぐさめあってたのではないかと家内は言うんですがどうかな。

 

家内が新妻鑑を卒業したころ父が飲み会で遅くなる日があると母はA君のおかあさんを招いて夕食会を楽しんでたようです。

 

さて本日の本題です。

私はA君にA君の家の隣はNさんじゃなかったかと聞きたかった。

Nさんは小学校でいっしょだった女性で5年、6年といっしょの組で二人で1学期の学級委員ということは二人ともおりこうちゃんだった。

 

今度の同窓会前になって初めてひらめいたんです。

A君の隣はNさんじゃなかったか?

会場でA君を見つけてすぐ聞いたんですがちがうと言う。

Nさんなんて知らないというんですが彼の現在のぼんやり度からすると信じがたいというのが今日の本題です。

 

 

 

 

同窓会あれこれ

同窓会の顔には三種類あると思いました。

 

見てすぐわかる顔。

はじめ誰かわからないけど見てるうちにわかる顔。

最後まで誰か分からない顔。

 

で、顔と名前が一致することは少ない。

で、結局のところ誰が誰かわからない。

 

そして思い出が一致することも少ない。

私が3年の時の卒業茶話会の話をしたときも同じクラスの4人全員がそんなもん知らんという。

「ケセラセラ」を歌ったTさん本人が歌ったことをおぼえてないと言ったときはこけそうになった。

なつかしがって損した気分であった。

 

なんとなくおぼえてるような顔のなんとなくおぼえてるような名前の人とたまに記憶が一致しないこともないかなあという頼りない話をするのが80歳同窓会かな。

 

A君と話してたらスポーツが好きだと言う。

テニスをやってたのが腕を痛めてやめてスキーに転向したけどひざを痛めてやめてゴルフに転向したら今度は肩を痛めてやめたというので「スポーツに向いてないんじゃないの」と言ったらやっと気づいたという感じで黙った。

 

しばし黙ってたA君が隣のB君を指して「さっきB君の闘病談を聞いてたんだけどすごいよ~!聞かせてもらえよ」と言ったらB君が待ってました!という感じで身を乗り出したので「聞きたくない!この2、30年病気の話は聞き飽きた。死にましたでよろしー」と言ったら納得したようでした。

 

今回感心したのは会員全員の「調書」みたいな一覧表が作成してあったことです。

幹事さんの中に税務署か生命保険会社の人がいるのかもしれない。

私はこんなきちんとした細かい一覧表は作れません。

えらいとは思わんけどご苦労様でしたと言いたい。

最後になりましたが字が小さすぎて読みづらかったとケチだけは忘れずつけておきたい。

 

高校同窓会

高校の同窓会が大阪市中央公会堂でありました。

450名中75名出席。

 

はじめに物故者71名に対して1分間の黙とうがあったんですが長かった。

あまりに長いので幹事が時計を見るのを忘れてるんじゃないかと思いました。

そのうち1分間というのはひとり1分で合計71分かもしれないと思いました。

そのうち幹事が何をしてるのか忘れてしまったのじゃないかと思いました。

そのうち幹事が黙とう中に死んでしまったのじゃないかと思いました。

私の体内時計で10分を過ぎたころ終わりました。

 

会いたかった人に会えました。

3年生の時同じ組だった女性Tさんです。

話をしたこともないくらいですが卒業前のクラス茶話会で彼女が歌った「ケセラセラ」が最近「青春の歌」という感じで私のアタマの中で響くんです。

歌詞は若い女の子が大人になったら美人になれるかしらお金持ちになれるかしらと歌ってお母さんが「ケセラセラなるようになる先のことなどわからない」と答える。

Tさんの歌い方が揺れ動く不安定な乙女心にピッタリの音程不安定な歌い方だったんです。

彼女が「私オンチだったのよ」と言ったのでなるほどねと思いました。

 

会えると思ってなかった人にも会えました。

2年生の時いっしょだったK君です。

彼ともたいした付き合いじゃなかったし卒業後のことも全く知らなかたんですが非常に印象に残ってるんです。

2年生の時3回はがきをくれたんです。

私の文章と絵をほめてくれた。

ほめてくれるのはうれしかったんですがなんか引っかかるほめ方だった。

同級生をほめるというより先生が生徒をほめる感じ。

 

「なかなかよろしい。このまま精進を重ねればモノにならないこともないだろう」

 

いわゆる上から目線。

 

彼ははがきのことは忘れてたみたいですが私の文章とか絵はぼんやりとおぼえてた。

私があてずっぽうで「キミ、先生になったのとちがうか?」と言ったらピンポ~ン!

大学の先生になってた。(^^)/

 

幹事役の一人がここに時々コメントをくれるachakochaさん。

名札のことで彼に文句を言いました。

粘着剤付きの紙に名前を書いてあってそれを服に貼るんですがすぐはずれる。

貼り直してもいつの間にか外れる。

何度も外れる。

皆さん困ってました。

 

すると彼がぱっと顔を輝かせて「皆さん!こうすれば大丈夫!」

なんと、おでこに貼ったんです。(これ、ほんとです。そういう人なんです)

名案でしょ!と言わんばかりの大威張りだったんですが誰もマネしなかったのは気の毒であった。

 

私にもおでこに貼れというんですが貼れませんよ。

私のおでこはachakochaさんのおでことちがって空き地がない。

私のおでこには前髪がばっさりかかっててそれをさっとかき上げるのが女性を口説くときの私の決めポーズなんです。

 

achakochaさんのおでこには前髪がかかってない。

空き地たっぷりで名札以外でも十分貼れる。

おでこにスーパーのチラシでも貼ったら小遣い銭になるんじゃないかと言ったら乗り気でした。

東京国分寺付近でおでこにスーパーのチラシを貼った男性を見たらachakochaさんですのでお気軽にお声をおかけください。

 

 

 

 

 

 

シジミチョウ

最近ウチの庭に灰色の小さな蝶がよく来ます。

かわいいです。

 

シジミチョウだなと思いました。

いつおぼえたのか知らんけどシジミチョウという名前は知ってます。

 

名前だけ知ってるというよくあるパターンです。

 

シジミチョウ。

 

うまくつけたなとも思うし他になかったんかなとも思います。

もうちょっとおしゃれな名前にしてあげてもよかった。

 

シジミチョウと呼ばれてうれしいかな。

 

私は「シジミさん」と呼ばれたらあまりうれしくない。

 

貝にシジミという名前をつけたことが悪いのではなかろうか。

 

ハマグリ、アサリ、シジミ。

 

語感的にシジミだけちょっと格が落ちるような気がします。

 

まず貝の名前を変えて次に蝶の名前を変える。

貝学会と蝶学会を巻き込むかなり複雑な作業になると思いますが誰かシジミチョウのために立ち上がる人はないでしょうか。

 

 

ダサい

農林水産大臣の発言について高市首相が国会で「不適切で本当にダサい」と発言したという記事を読んで農林水産大臣の発言はともかく「首相が国会でダサいなんて言うかな?」と思いました。

 

私のアタマの中では「ダサい」というのは総理大臣が国会で使うべき言葉じゃないんです。

しかし私のアタマも相当古い。

総理大臣が国会で使うべきことばかどうか判断するには古すぎるかもしれない。

 

で、「ださい」を国語辞典を4冊見たらどれも「野暮ったい」と書いてありました。

農林水産大臣の発言が野暮ったい?

なんじゃそれは。

私のアタマ同様国語辞典も相当古いのかもしれない。

 

で、ウイキペディアで調べました。

 

「ダサいとは、「恰好悪い」「野暮ったい」「垢抜けない」などといった意味を持つ俗語である[1][2]。1970年代前半から関東地方の不良少年や女子高生の間で盛んに用いられ、1970年代後半には若者語として定着した[1][2]。

造語の誕生

この俗語について、1978年版『現代用語の基礎知識』では暴走族を発信源とした言葉とした上で、不良同士が互いのツッパリ具合を品定めする際に用いられたしている[3]。なお、1978年版『現代用語』ではツッパルについては本来、「自分を実力以上にアピールさせようとする」といった意味を持ち、それが高じて「自分を『(周囲から)見られている』状態に置いて、一つのモノのように意識する」といった意味を持ったとしている[3]。」

 

「ダサい」という言葉が生まれた背景はわかりました。

キーワードは「1970年代前半」「不良少年」「女子高生」「暴走族」「不良同士がツッパリ具合を見定める」「自分を実力以上にアピール」などのようです。

 

なるほどネッ!

なんか知らんけど納得。

 

「ダサい」という言葉の背景についてはなんとなく納得できましたが高市首相との関係は?

 

高市首相は「1970年代前半」「不良少年」「女子高生」「暴走族」「不良同士がツッパル」「自分を実力以上にアピール」などと関係あるのだろうかと考えてたらこの画像がアタマに浮かびました。

 関係ないと断言はできないような気もするんですがもうちょっと考えてみます。