昨日の葬儀は、某大手葬儀会社の会場で行われた。簡素で美しい祭壇と、進行係が全員若い女性だったことが、新鮮であった。
20年ほど前、得意先の社長の葬儀に参列した。享年92歳。今では、90歳といってもそう驚かないが、当時の90歳は値打ちがありましたね。
御自宅での葬儀であった。8月のはじめ、暑い盛りです。参列者はかなり多くて、道路に張られたテントからも大勢はみ出しました。私も炎天下に、汗をだらだら流して立っていました。
スピーカーから流れてくる弔辞を、早く終われー!と思って聞きながら、汗まみれで立っていました。
弔辞が終わったと、ほっとして汗を拭う私の耳に、スピーカーから、ボソボソと何かを読む声が聞こえてきました。
?なんじゃこりゃ?
ボソボソと読み終えると、また読み手が変わってボソボソ。
?なんじゃこりゃ?
!むむ!こ、これは俳句だ!ヘタな俳句だ!
ボソボソと読み終えると、また読み手が変わって次の俳句。
炎天下、流れる汗を拭いながら私は思い出した。亡くなった社長の娘さんの趣味が俳句でした。その俳句仲間が自作の句を手向けているのだな。供養の句、というやつだな。
俳句の世界には、こういう悪習があったのか!?汗を流し、炎天下に立ちつくしながら私は俳句を呪った。芭蕉、蕪村、一茶その他大勢を呪った。
二、三十人が次々と自作の句を手向けられたのである。炎天下である。腹が立った。
一句だけ、忘れられない句がある。
「暑さにも 年にも負けて 逝きたまう」
十年程前の、別の得意先の社長の葬式は、大きな会場を借りて実に盛大なものでした。数十人の会社であったが、付き合いが広かったのですね。
各界代表の弔辞がすみ、社員代表の弔辞になった。社員代表としてAさんの名前が呼ばれたとき、私は意外に思った。Aさんは、古参の真面目な方であったが、工務担当で、人前で弔辞を読むというようなことにはむいていないと思ったのです。営業部長のBさんなら、そつなくこなされるだろうに、Aさんのほうが、社長に可愛がられていたのかな、と思ったりしました。
Aさんは参列者の前を、落ち着いた様子で社長の遺影の前に進みました。
紙を開げると、はっきりと、大きな声で
「祝辞!」
凍りつく式場。
「あっ、ごめん!弔辞」
後は無難に読み終えました。
その後、そのことには触れる人はいません。