朝日新聞「経済気象台」。
「「儲かりまっか」は大阪人の代表的あいさつのひとつである」
ほんまでっか。
四十年大阪で商売というかビジネスというかやってきましたけど一回も聞いたことおまへん。
「「儲かりまっか」は大阪人の代表的あいさつのひとつである」てなことを書かれると、あと読む気がしないので気の毒である。
「経済気象台」の関連で、というか何の関連もないですが、「風見鶏」という言葉があります。
私が一番よく目にしたのは、中曽根元首相が「政界の風見鶏」という使い方です。
この「風見鶏」、いい意味じゃないですね。
自分の信念、しっかりした意見を持たず、その時々の優勢、有利な方につく。
その時々に態度をころころ変え意見をくるくる変える。
中曽根さんがどうだったか知りませんが、言葉の使い方としては、そういう情けない意味でしょう。
英語でも同じで、「weathercock」に「無節操な人」という意味があります。
これは、本当のというか本来のというか「元祖風見鶏」というか「本家風見鶏」には失礼な使い方である。
誤用というより邪用ですよ。
「風見鶏」というのは、風向きを知らせるため、屋根のてっぺんで一年三百六十五日一日二十四時間雨の日も風の日も世のため人のため働き続けている。
休むのは風のないときだけだ。
彼は節操がないのでくるくる変わるわけではなく軽薄なのでころころ変わるわけではない。
職務使命に忠実なだけだ。
彼がくるくる回るのを見ると私はじ〜んとくる。
頭が下がる。
いや、私は風向きを知って得したとかいうことはないんですが、損得の問題じゃないでしょう。
一人屋根のてっぺんで仕事してる姿にうたれるんです。
「政界の風見鶏」?
失礼じゃないでしょうか。
世界各地の屋根のてっぺんで何百万という風見鶏たちが抗議の声を上げることなく今日も黙々と働き続けているのである。