この本の副題は、「行基集団の水資源開発と地域総合整備事業」というカタクルシイものです。
「関係者以外は読まないでください」という感じがしないでもない。
「読まないでください」は言い過ぎでも、「関係者以外が読んでもおもしろくないですよ」という感じはします。
おもしろいんですが。
著者の尾田栄章さんは、「この本を読むのは、行基や長屋王に関心のある『古代派』か、水資源に関心のある『河川派』のどちらかだろう」と書いてます。
私はどちらでもありません。
どちらかというと「古代派」かな。
行基や長屋王の名前とちょっとしたお話くらいは知ってますが、「古代派」を名乗るほどではない。
「河川」については知りません。
いや、知ってますよ。
あの、水が流れてる・・・川です。
古代派でも河川派でもない私が、なぜこの本を買う気になったのか。
著者の尾田栄章さんがエライ人だからです。
私はエライ人に弱い。
権力に弱く、カネに弱く、女に弱く、酒に弱く・・・何の話か。
尾田栄章さんです。
建設省河川局長を務めた方です。
エライです。
いくら私がエライ人に弱いと言っても、尾田さんが、河川局長時代、河川管理の国際会議で訪れたスペインのアンダルシアで見たフラメンコに感激して、帰国後はフラメンコ教室に通い、定年退官後はフラメンコダンサーとして活躍、フラメンコへの熱い思いを語った『わが心のアンダルシア』という本を出版したというのなら、悪いけど、買いません。
そんなんじゃなくて、建設省の河川局長を務めた方が、行基たちの活動やその時代の政治状況について、河川管理、水資源開発の専門家としての立場から取り組んだ本ということで買いました。
日本古代史学会にとって大変ありがたいことであると思います。
日本古代史学会会長に成り代わって御礼申し上げたい。
素人が口出しするなとは言いませんが、こういう専門家の異業種への参入というのは珍しいんじゃないでしょうか。
乱暴な言い方ですが、行基集団の動きを、歴史家としてではなく、土建屋さんとして見てる、という感じかな。
机の上で考えるより、現場で考える。
たとえば、行基集団の活動拠点は「道場」と言われてるけど「現場事務所」だという見方です。
「飯場(ハンバ)」という感じですかね。
「池を掘る」という言い方がおかしいという指摘も、なるほどと思いました。
私なんか、池と言っても金魚池くらいしか思い浮かばないから、「池を掘る」でいいじゃないかと思うんですが、行基たちが作ったのは金魚池じゃなくて農業用のため池です。
掘るんじゃなくて、農地より高いところに作らなければ役に立たないというんです。
この本を読んで、私が、土や川と無縁に生きてるなと思いました。