縦書きと横書きについて考えたこともなかった。
日本は元々縦書きである。しかし、お寺の門にかかっている額は右から横書きだ。「寺大東」とか「寺隆法」とか。
書道の作品にも、横長の紙に漢詩などを右から横書きしたのがある。
「暁覚不眠春」
ところが、そういうのは縦書きだと書いてある。右から、一行一字の縦書きだそうだ。下に書けないので二行目に書いてある。いろんな「証拠」をあげてある。
国語学界の常識だそうだ。知りませんでした。
歴史上ただ一人、左から横書きした人がいる。
空海だ。
サンスクリット語のマネをしたようだが、あまりに奇抜だったからか、誰もまねをしようとせずこれははやらなかった。まねる人が続出したら、空海は左横書きの創始者として威張ってられたのに気の毒である。
蘭学の流行を見て、新しがりの浮世絵作家などが、横書きを取り入れた。
浮世絵に感激したフランスの画家が、ローマ字で縦書きしたのといっしょだ。
どこにも新し物好きはいるが、この本では、ローマ字を組み合わせた「紋」を紹介してあるし、前にどこかで読んだ「金髪の雛人形」を売り出したり、日本人の新し物好きはかなりのものだ。
文明開化の世の中になって、数式や楽譜を印刷するようになると、本格的に左からの横書きが現れる。
西洋文明を受け入れる際に「左横書き」が登場したのであるから、「左からの横書き」はエリートのものであった。
ふつうの日本人にとっては、文章は右上から始まるものだったのだ。
明治20年代には、数学雑誌でさえ、表紙にわざわざ「左起横書」と断っているそうだ。
明治43年の国鉄の規定では、一般乗客向けの表示は右からの横書きで、「車堂食」「車等一」、鉄道職員などが読む表示は左からの横書きと定めている。
第二次大戦後、急速に左横書きが一般化して、私たちはタテヨコOKだ。
タテヨコOKは世界的に珍しいそうなので、威張っていいように思う。
この本でもう一つ意外に思ったのは、明治22年の京都府での徴兵検査の話だ。7200名中、自分の名前が書けた者は51%、文字をまったく知らない者が13%あったそうだ。
ちがう国のようだ。
伝統ある日本国は、連綿と、というよりギクシャクと続いてきたようだ。
今もギクシャクしてるな。
「ギクシャク期」にあたると大変だ。