若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

初雪東京に舞ふ

朝日新聞「ひと」欄で紹介されている愛甲次郎さんは、文語文の復活に取り組んでいる。

愛甲さんは、ソニーの専務だった。
部下からメールでいろんな提案が寄せられる。
いい案なのだが、文章が冗長で要領を得ないものもあった。

候文なら、簡にして要のビジネスレターになる」と思ったそうだ。

ヘンなことを思いついたものだ。
インターネットで文語を広めようと活動している。

愛甲さんの日記。

「この日初雪東京に舞ふ。連日寒き日続き、一、二月の暖冬は真なりやと疑ふ」

なるほど、同じことでも文語で書けば、ずいぶんと優雅な感じがするものだと思う人はちょっとどうかしていますよ。

好きなんでしょうね、こういうの。
趣味の世界のことを、とやかく言うのは野暮だとは思うが、悪い趣味だ。
私の趣味である駄洒落のほうがはるかにましだ。
と思います。

こういうのを、「文語」というのか。
「古文」という感じだ。

「擬古文」というのかもしれない。
「ニセ古文」といってはきつすぎるか。

記事の締めくくり。
「実は挫折続きだった日記が、文語で書き始めると二年半続いている。『これも文語のもつリズム感のおかげです』」

無内容である。
なにか書けばいいというものではない。
この記者は、「文語の持つリズム感」について、もう少し考えてから記事を書くべきだ。

紫式部清少納言みたいな人ばかりだったわけではない。
「文語」で、へたっぴーな文章を書いた「王朝の女流」の方が多いだろう。

あるいは、『枕草子』を読んで、ムカッとした王朝の女流もいるかもしれない。
「なんざます!?このちゃらちゃらした文章は!新しがり!」

明治以後の文章を読むだけでも変化の激しさがわかる。
多くの人が悪戦苦闘で「口語文」を築き上げてきたのだから、書くのはそのセンでがんばらないとバチがあたりますよ。

愛甲さんに罪は無い。
バチが当たるのは朝日新聞だと思います。