来年は「いのしし」である。
「いのしし」はなじみのない動物だ。たぶん、実際に見たこともない。父が「いのしし」だったというくらいの関係だ。私が「いぬ」で、妹が「ねずみ」で、母は「うさぎ」だった。
母は一月生まれだ。誰かに、本当は年末に生まれて「とら」なのに、ごまかして「うさぎ」にしたのだろうと言われて気を悪くしていた。
小学校一年のとき、先生が、「いぬ年の人、手をあげて」と言った。
「おっ!ボクや!」
私は喜び勇んで手をあげた。どんなもんだ!
次の瞬間、ぼーぜんとなった。おおぜい手をあげるではないか。
これはいったい・・・?
家ではボクひとりなのに。
「エトシステム」の仕組みについて、私はいつごろ知ったのであろうか。
テレビで、桂文珍さんが猪の話をしていたことがある。家がかなり田舎の農家で、よく猪が畑をあらした。猪をつかまえたとき、おばあさんが棒を持って、「こいつめ!こいつめ!」とたたいたそうだ。
聞いていた若い女性アナウンサーは、「わ〜、かわいそう」と言っていたが、畑をあらされたおばあさんの怒りがよくわかる。
猪だけではなく、えとの動物とはなじみがない。犬くらいか。
昔は家にねずみがいた。ねずみは飼っていたわけではない。
鶏を飼っていた。
裏の家が農家で、牛がいた。馬や牛が歩いていたのをかすかに覚えている。
道で遊んでいて、「暴れ馬が来た!」という声に、あわてて家に飛び込んだことがあった。
おじいさんが手綱を持って、荷車をひいていた。馬が、首を大きく左右に振って、足を高く上げてやってくる姿が浮かぶのであるが、本当に覚えているのかどうかはわからない。
道路には、牛や馬の糞が落ちていた。これも本当に覚えているのかどうかわからない。牛や馬の糞が落ちていたことをはっきり覚えているほうがいいのかどうかもわからない。
牛や馬の糞の形や色やニオイがまざまざとよみがえるほうがうれしいだろうか。
ちょっと考えさせてください。