若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

大晦日の客

晦日に思い出すのは、昨日の日記に登場したM君だ。
彼は、「大晦日の客」として我が家の歴史に名を残している。

昭和58年の大晦日の夜、新年の準備に慌しい我が家に突然風のごとくに現れた。

M君は焼き物を作っている人である、と紹介すると、いかにも気楽な自由人という印象を与えるだろうし、実際彼に会った人はたいていその風貌から、この人はカタギの勤め人じゃない、住所不定無職、親兄弟親戚縁者もなく天涯孤独、この世に何のしがらみもない天下御免の気楽な風来坊ときめつけるのだが、そう簡単に外見で人を判断してはならないのであって、長年つきあってその人となりを知っている私から見れば、彼を外見的なことで気楽そうな人と考えるのは間違っていて、M君は、表面だけでなく身体のシンから気楽そうな人なのだ。

いくら気楽な風来坊とはいえ、大晦日の夜にやってくるのはさすがに気が引けたと見えて、現れた彼のいでたちは、右手にタワシ、左手に雑巾、ベルトに「マジックリン」をはさんでいかにも年末の大掃除のお手伝いに来ましたと言わんばかりのかっこうだったのであるが、それは世を欺く仮の姿、そんな気持ちはさらさらなく、家に上がった彼はその頃はまっていたアフリカ音楽についてしゃべりだした。

ケニヤのキクユ族が新月の夜にたたく太鼓は、「トントコトントコスットントン」とテーブルをたたいてみせる。
同じ新月の夜でもマサイ族になると「スッテンテレツクスッテンテン」と、大晦日の夜に突如我が家に響き渡るアフリカンドラムのリズムに乗って部屋に現れたのはマサイ族の老酋長ゼガではなくて私の父であった。

好奇心旺盛な父は、大晦日の夜に来る客とはどんな人かと見に来たのであった。

太鼓をたたき終わったM君はねずみの焼き物を取り出した。
一月ほど前に彼の個展で、私は来年の干支のねずみの焼き物を注文してあった。
もう忘れているのだろうと思っていたのだが、大晦日の夜に届けてくれるとは、彼が律儀だからか気楽だからか、判断はお任せしたい。

彼は、ねずみだけにチューモンが殺到して、夜もねずみねずみを作っていたとヘタな言い訳をした。
頼んであった大きなねずみと、おまけだと言って小さなねずみをくれたので、私は、「ねずみなのにチューがないとはこれいかに」と言いかえした。

晦日に気楽な二人だと思われるかもしれないが、気楽なのはM君です。