ノーベル賞作家サミュエル・ベケットの名作、不条理劇の傑作中の傑作である。もちろん私は知りません。
『今日はラッキー!』を送った高校の美術部の後輩M君からはがきが来た。
カタブツのM君が笑ってくれたそうでうれしかった。
M君は理系の大学で教えながら絵を描きつづけている、といいたいところだが、描きつづけているとはいえない。M君は、描いているのではなく、ペンキをぶちまけているのだ。
板に黒いペンキをガバーッとぶちまけて、乾いたころを見計らってその上に赤いペンキをガバーッとぶちまけ、乾いたところを見計らってその上に青いペンキをガバーッとぶちまけ、乾いたところを見計らってその上に、以下略。
ぜんぶ乾いたところでM君はやおらナイフを取り出す。オレはなんてあほなことをしているのだろうか!とナイフで自殺しようというのではない。
乾いたペンキをけずるのである。何層もの様々な色のペンキが現れる。
これは美しい。
美しいのはよいのであるが、問題は絵のサイズだ。
M君の作品は、だいたい畳七、八枚の大きさなのである。
彼は自宅の最上階にアトリエを作った。彼の悩みは、作品を床に置くと、彼の立つ場所がなくなることだそうだ。勝手に悩んでなさい。
畳八枚ほどの板の上に、様々な色の大量のペンキをぶちまけ、シンナーのにおいの立ち込める屋上の一室で、つま先立ち、四つんばいになって狂ったようにナイフでがりがり画面をけずっている姿を彼をよく知らない人が見れば、ちょっとおかしいのじゃないかと思うだろうが、高校時代から彼を知っている私に言わせれば、ちょっとどころでなく完全におかしい。
M君は、『今日はラッキー!』の「ラッキー」ということばを見て、どこかで見たことのあることばだと思いました、と書いてきた。
どこかで見たことのあることば?
どこでも見ることばではないか。
こういうことからも、M君が完全におかしいことがわかる。
彼は、ラッキーということばをどこで見たのだろうかと何日も考えつづけたそうだ。
そして、ついにひらめいた!
不条理劇の傑作『ゴドーを待ちながら』の登場人物の名前だったのだ。
「ラッキー」という人が縄で首をつながれて出てくるそうだ。
そ、そうですか。(-_-;)
M君こそ不条理劇の主役みたいな人だと思います。