娘が勤めだして二年になる。
毎朝いっしょに家を出てバス停まで歩く。
バスで駅まで行く。電車はちがう電車だ。
今朝、珍しく娘が休んだので一人でバス停に行った。
なんだか気が楽だと思った。
どうしてかな、と考えたら、どうも私は娘を幼稚園に送っていっているときの感覚だったようだ。
娘は笑うだろうが。
十数年前まで住んでいた家の裏は「元農家」であった。
私が子供の頃は牛がいた。
二十年ほど前裏の庭で大きな声がした。
庭の木を切っているようだ。
おじいさんが大声で指図している。
見ると、ご主人が木に登っておじいさんの指示に従って枝を切っている。
ご主人は五十くらいの人だ。
「おい!その枝切れ!ちがう!それやない!そうや、それや」
「次はその上。ちがう!そう、それ」
ご主人は憮然とした表情で言われるままに黙って枝を切っていた。
まるで中学生扱いだ。
おかしいような気の毒なような気がした。
十年ほど前、父と東京に行くのに京都駅で9時半に待ち合わせることにしていた。
前日、父が私のところにやって来て
「9時半やぞ。まちがうな」と言って自分の部屋に戻った。
しばらくするとまたやって来て
「ええか、9時半やぞ」と言って、部屋に戻った。
しばらくするとまたやって来て
「遅れたら次のに乗れ。東京駅で待ってるからな」
45、6の私であったが、できの悪い小学生扱いだ。
「親感覚」というのも困ったもんだ。
親子関係も様々だ。
英語で「両親」を意味する「ペアレント」の語源は、「ペア」+「レント」だそうだ。
「ペア」は、二人で一組。
「レント」は「レンタルビデオ」などと同じで、「貸室」などを意味する。
二人一組で貸し出されたもの、ということになる。
所有権までは放棄していないが使用権は相手(子供)にある、ということだ。
アングロサクソン民族の古代家族法が文献資料として残っているわけではないが、「ペアレント」と言う言葉の語源から、アングロサクソンの家族観がうかがえて興味深い。
この項については、若草鹿之助商店英語語源事業部から多大のご教示を得た。