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岩波書店から「痴呆老人が創造する世界」という本が出ている。
著者が「阿保順子」さん。
こんなことをなんとなく面白いと感じる私は、軽薄で不謹慎な男だと思う。
著者と出版社にお詫びしたい。
生まれかわったら、こんなことを面白がらないような真人間になりたい。
母がボケて十年以上になる。
母が入居している施設で、いろんな「痴呆老人」を見てきたが、「痴呆老人が創造する世界」というのは、私には理解しかねる発想だ。
現場で日常接しているとそういう理解も出てくるのだろうか。
私は、「痴呆老人が失った世界」には関心がある。
「この人はどんな人生を歩んでこられたのだろう」と思う。
たいした人生ではないであろうと、自分を振り返れば想像はつくのだが、たいしたことはないなりに、様々なことがあったはずだ。
私の目の前にいるのは、そういうもののほとんどすべてを失った人だ。
痴呆性老人にも失うものは色々ある。
たとえば「歌」だ。
歌は人間の非常に深いところに入っているようで、かなりの痴呆の人でも小学唱歌などを歌う。
今、歌える人はほとんどいなくなった。
彼らは歌を失ったのだ。
以前はテレビで相撲を見て、皆で「貴乃花」とか「曙」とか言っておられた。
今はテレビを見る人もいない。
たまにテレビがついていても、見る人もなくむなしくついているという感じだ。
私がたまに見るくらいのものだ。
先日行ったとき、ふとテレビに目をやると、おしゃれな感じの中年男性が映っていた。字幕で「NHKホール」と出ていた。
彼は、「人間の声は、どんな楽器の音色より訴えるものを持っています。人間こそ、最高の楽器であると言えます。今日は、そのことを証明するお二人にご登場いただきます」と言った。
この人は、オペラ評論家でオペラ歌手が出てくるのだなと思った。
「それでは御紹介いたしましょう、浪曲界を代表するお二人・・・」
この人は浪曲評論家なのであった。
少し前なら、このテレビをきっかけに、入居者の皆さんと浪曲について話すこともできたはずだ。
やはり「痴呆老人が失う世界」というほうが分かりやすいように思う。