若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

訃報

叔父が亡くなった。

母のすぐ下の弟で88才。
母の兄弟は学業優秀で、兄と弟二人が帝大である。
亡くなった叔父は大手企業の部長を経て、子会社である一部上場企業の社長になった。叔父さんはえらいんだなあと思ったが、叔父がこの処遇に大変不満だったと聞いて驚いた。

これで母の弟は三人とも亡くなった。
母は、上から順に「ただすさん」「おさむちゃん」「あきら」と呼んでいた。
二十年ほど前、おさむ叔父が母に、「同じ弟なのに、なんでオレは『おさむちゃん』でむこうは『ただすさん』なの」と文句を言っていた。

完全にぼけてからも、母は時々恐い顔で「おさむ!」と怒ったように言うことがあった。よほどやんちゃだったのだろう。

母はまめに親戚づきあいをする人で、子供の頃はよく親戚の家に連れて行かれた。
小学三年生の頃、ただす叔父の家に行った。
「おじさんの家」は強烈な印象を与えた。

アメリカの家だ!」と思った。
アメリカの家は知らなかったが、とにかく家の中が明るく、ソファがあって、ゴルフクラブがあって、芝生の庭だった。

ソファで話していると、庭の方で女性の大きな声が聞こえた。
「よしお!よしお!」

叔母が面白そうに母に言った。
「お隣の奥さんです。『よしお』って、ご主人なんですよ」

母は目を丸くして絶句した。

子供心に、叔父達が親戚づきあいの輪から少し離れているように思った。
叔父の結婚が原因のようだった。

貧乏人の子沢山であった母の家族は、親戚の非常に裕福な家から何かと援助を受けていた。
その家には娘がいたので、優秀な若者であるただす叔父との結婚が取り決められたのはごく自然な話である。
ただし、叔父には会社に好きな女性がいたのだ。
悲恋であった。

ところが、叔父が結婚してすぐ奥さんが亡くなった。
奥さんが亡くなるとすぐ叔父は好きだった女性と再婚した。
この「早すぎる再婚」が親戚中に気まずい空気を作り出したようだ。
叔父達にとっては、納まるべきところに納まっただけのことだっただろうが。

私にとって一番遠い叔父だったが、母がぼけてから何度か電話をくれた。
数年前の最後の電話で、結婚したばかりだった私の両親の家から出征したと思い出話をした。

「郵便局を入ったとこだったよね?」

い、いや、叔父さん、郵便局も家も、私が生まれる前に空襲で焼けてます。