高校の美術部の友人で、今は大学教授のS君の「デッサン講座」に行く。
豊中の駅から教室への道を歩く。
銀行の前を通りすぎながら、なんとなく出てきた人に目が向いた。
80過ぎと思える男性であった。
あ、見たことある人だ。
誰だったか?
豊中に知り合いはいないが、どこかで見たことがある!
おお!
母が入居していた要介護老人施設に入居していた奥さんを訪ねてきていたYさんではないか!
私が、日曜日に母に会いに行くと、必ずYさんに会ったものだ。
奥さんは、何年か前に亡くなられた。
たしかにYさんだとは思ったが、ためらい気味に声を掛けてみた。
銀行の前でステッキを突いてたたずむYさんは、私がわからないようで、とまどっておられた。
そうでしょうな。
もう何年も会っていないし、会ったのは奈良の施設で、ここは豊中だ。
施設の名前を出し、奥さんのこと、母のことなどを話すうちに、なんとか思い出してもらえた。
「ああ、なつかしい!中に入りましょ」と、銀行の店内のソファで話をした。
「おかあさんは?」
「去年の暮れに亡くなりました」
「おいくつでした」
「94です」
「はあ、私よりお若かったんですな」
「???え?!」
「私は96です」
「きゅ、96???」
「・・・あ、86ですわ。あはは、このごろ、自分の年もわからんようになって」
Yさんの奥さんは6年前に亡くなっている。
有能な女性実業家であった奥さんは、ピック症で脳を冒され、晩年は無残な姿であった。
足を引きずりながら面会に通ってこられるご主人が、私には父の姿と重なって見えた。
要介護状態になった妻の元に通う夫というのは、哀れに見える。
要介護状態の夫の元に通う妻は、哀れに見えない。
男はもともと要介護だからだろう。
銀行のソファで、Yさんは、何度も、早く死にたいと言った。
「長寿なんか、ええことおませんで」
早く死にたいが、こればっかりはどうにもならんのでなあ、と繰り返した。
もう一軒銀行に行くというYさんは、どこから見ても恰幅のいい立派な老紳士だ。
早く死にたがっているようには見えないだろう。
私は、型どおり、「どうぞお元気で」といって別れた。