若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

墓をどうする

九州の親戚、赤井さん(仮名)から手紙が来た。

墓の件で相談である。
ややこしい話である。
当事者の私にとってもややこしいのだから、関係ない人には無茶苦茶ややこしいと思う。

赤井さんのお父さんである宗雄さんは、ずいぶん前に亡くなっているのだが、その宗雄さんの遺骨についての相談だ。

赤井さんのお父さんである宗雄さんは「赤井宗雄さん」だと思うでしょう。
ちがいます。
谷井(仮名)宗雄さんです。

もともとは、赤井家に生まれて、赤井宗雄さんだった。
ところが、赤井家の親戚である谷井家に跡継ぎがなくて、宗雄さんが養子に行った。
それで谷井宗雄になった。

ここまではよくある話です。
さて、元は赤井宗雄であった谷井宗雄さんは、結婚して子供も出来たが、実家である赤井家の跡継ぎが死んでしまった。
それで、元赤井宗雄である谷井宗雄さんは、自分の息子を赤井家に養子に出したのだ。

その後、元赤井宗雄である谷井宗雄さんは、奥さんを亡くし、私の伯母(父の姉)と結婚した。
父は、若草家の末っ子長男で、姉が五人いた。

さて、元赤井宗雄である谷井宗雄さんは、私の伯母と結婚するに当たり、何を考えたのか知らんが、若草宗雄になることにしたのだ。

手紙をくれた九州の赤井さんの立場は、どういうことになるのか。
元赤井宗雄であって、谷井家に養子に行った人の息子として生まれ、谷井姓を名乗っていたが、途中で赤井家を継ぐことになって、「私は赤井で、おやじは谷井ですが、実はおやじも、もともとは赤井なんです」とややこしい説明をしていたのが、「私は赤井で、おやじは若草ですが、実はおやじは谷井だったこともありますが、ホントは赤井なんで・・」と汗をかきかきしどろもどろの説明をしなければならなくなってしまった。

そのほか、もっとややこしい話があって、ご高齢の赤井さん自身、なにがなんだかわからなくなって、手紙をよこされたようだ。
ワープロの手紙だったのには感心したが、こんな大きな字は見たことない、というような字であった。

まあ、赤井さんにわからないことが私にわかるわけがない。
そうお返事しようと思っています。