若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

どきっ!

認知症の人と話していると、昨日書いたMさんの言葉のように、どきっとさせられることがある。
意表を突く言葉が飛び出す。

母に関してそういうことはあまりなかった。
たぶん、私が、混乱、困惑を生じるような話題を避けて、当たり障りのない会話をするよう心がけていたからだろう。

まだかなり初期のころ、母に、「あんた、高校はどこやったかねえ」と聞かれたことがある。
「あんたは・・三高やったねえ・・ちがう?あ、五高・・いや六高?」
自分の弟たちとまちがえていた。

このときはショックだったが、まあ高校をまちがえただけだ。
それから十数年、認知症がかなり進んだころ、父が肺がんで入院したことがあった。

母が、夜中に起きては父を探す。
父が入院しているというと驚く。
そして怒り出す。

「そんな重要なことをなぜ私に知らせないのか。お前はなんという息子だ」
「いや、知らせてある」
「では、私はキチガイなのか。自分の主人が肺がんで入院していることを知らされて、それを忘れてしまうのは頭がおかしいということだろう」

ハイそうです、とはいえない。

一人で寝かせておけないので、母と並んで寝ることにした。
夜中の一時か二時になると起きて父を探す。
そのうち、私の方が先に眼を覚ますようになった。

母が眼を覚ますのを待ち構えて、父が入院していること、心配しなくていいことを伝えた。
疑問を起こす前に説明すると、何とか納得した。

あるとき、説明する私をしげしげと見つめて、「あんたは、私の弟やねえ」といった。
このときはドキッとした。
母が目の前の私を見つめてそういったので、がっくりきた。

「いや、弟じゃない。ぼくは、おかあさんの子供」
「子供?・・子供にしたら大きいねえ」

一番ドキッとしたのは、母が骨折して入院したときのことだ。
症状は急激に悪化していった。

日向ぼっこでもしようと、母を車椅子に乗せて押していると、母がぽつりと言った。

「こんな迷惑をかけるようなことになって、私はよっぽど悪いことをしたんやろうか」

理解を超える言葉であった。