若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

終の棲家

「終の棲家」という言葉は、よく見聞きするが、どんな家なのだろうか。

母の場合は、十三年余り暮らした「要介護老人施設」が終の棲家だ。
その施設は、認知症などの要介護老人を「収容する」というのではなく、そういう人たちにも、それなりの日常生活を送ってもらおうという方針で運営されている。
「終の棲家」というのがぴったりである。

十数年前の開業当時は、先進的施設だったと思う。
そのころは、当事者はともかく、一般には「認知症」に対する理解は低かった。
まあ、当事者でも、私みたいに、「現実を受け入れられない困ったさん」もいたわけですが。

どれくらい理解度が低かったか。

父と母は、二人で暮らしていたが、母の認知症が進んで、私たちと一緒に暮らすようになった。
症状はなお進んで、家での生活は限界という感じだった。
平成7年の1月、両親が散歩に出て、母が転んで骨折した。
父が、会社に電話で知らせてきた。

非常に弾んだ、うれしそうな声なので、何事かと思った。
運ばれた病院で、母がぼけていることを話したが、完全看護だから大丈夫だといわれたというのだ。

父のうれしそうな声で、母の介護で、いかに心身ともに疲れ果てていたかがよくわかった。
私も疲れ果てていたから、入院と聞いてほっとしたものの、母のような状態のものが入院するとどうなるのかと、ぼうぜんとしてしまった。
「完全看護だから大丈夫」?

会社の帰りに病院に行った。
看護婦詰め所で名乗ったら、看護婦さんが血相を変えて飛んできた。

「あんな人を置いて帰られたら困ります!点滴ははずすし、ほんとに・・・」
「ぼけていることはお話したと思いますが」
「ぼけているも何も無茶苦茶じゃありませんかっ!」

大変な剣幕でまくし立てた。
担当の医師に会って、母の状態を説明した。
医師はにこにこして、「お年よりはそんなもんですよ。わかってますからご安心下さい」
いや、先生、わかってないって。

中規模の病院の医師や看護婦でもこういうレベルだった。
母の入院中、父から会社に電話がかかるとぞっとした。

今日、看護婦さんの腕に噛み付いた、たたいた、けった、ひっかいた。
母には、なぜ自分の足がくくりつけられ、トイレにも行けないのかがわからないのだ。

看護婦さんたちは、認知症についていい勉強になったと喜んでくれた。
と思います。