「時代」がちがうといろいろわかりにくい。
キンドル無料本を読み続けてますが、古い本ばっかりです。
高村光雲、古川ロッパに続いて、「銭形平次」で有名な野村胡堂のエッセイを読んでます。
これはおもしろい。
しかし、どうもぴんと来ないとこもある。
高村光雲、古川ロッパのときもそうだったけど、カネのネウチがわからない。
と思ってたら、レコードのネウチがもっとわからないと思いました。
野村胡堂は音楽評論家としても活躍した人で、レコードの収集家として有名です。
それは知ってたんですが、「1万枚もレコードを持ってたんだ」くらいにしか思ってなかった。
ところが、エッセイを読んで驚いた。
大正か昭和のはじめでしょうか、熱烈なクラシック音楽ファンである野村胡堂さんが、ベートーベンの交響曲の1番から8番まではなんとか集めたけど、第9だけはどうしても手に入らなかったというんです。
音楽のレコードですよ。
ベートーベンの第9ですよ。
カネに糸目は付けないんですよ。
ちょっと想像できません。
カネのネウチとかいう話じゃなくなってくる。
野村胡堂さんは東大生の息子を結核で亡くしてるんですが、その息子がどうしてもヘンデルの『メサイア』を聞きたいというのでイギリスのコロンビア本社に注文したら何か月後かに全18枚が届いたそうです。
息子さんは全曲聞く力は残っておらず、2、3枚聞いただけだった。
そのあとすぐに野村胡堂は東大で『メサイア』のレコードコンサートを開くんですが、3千人の学生が集まったそうです。
時の皇族や三井、三菱の人たちもレコードを聞きに野村さんの家にやってきたというんですから、わけわかりません。
レコードを日本でプレスするようになるまではそんなものだったみたいです。
「時代」を理解するのはほんとにむずかしいと思いました。