デイビッド・クリスタル著『文法には「意味」がある』という本を新聞広告で見て買おうかと思ったけど2750円で面白くなかったら損だと思ってネットで調べたらキンドル版なら588円だったので迷うことなく買いました。
2000円以上安いなら英語で読んでもいい。
500円安いだけなら日本語。
文法と言うと思いだすのは「五段活用」ですね。
思い出しても腹が立つ。
中学で習った時こんなもんおぼえてなんの役に立つのかと思ったけど、五段活用のおかげで命拾いしたとか、わたくしのこんにちあるは五段活用のおかげですというような人があれば教えてほしいもんです。
あと「修飾語」とか、おぼえてどうすると思いました。
さて、偉大なる英文法学者オットー・イエスペルセンは、「文法はおもしろくないが役に立つという人が多いが、私は、文法はおもしろいが役に立たないと思う」と言ったそうです。
デイビッド・クリスタルはイエスペルセンの説には反対で、「文法はおもしろくて役に立つ」と言ってます。
私はイエスペルセンにもクリスタルにも反対で、「文法はおもしろくないし役に立たない」と言いたい。
デイビッド・クリスタルさんによれば、イギリスでは1960年代に専門家会議が「文法は役に立たない。学校で教えるのは大変有害である」という報告をまとめたので、じゃ、やめましょうということになった。
大胆である。
で、1970年代に大学で文法を教えていたクリスタルさんが授業で「前置詞」について話し始めたら学生たちががやがやしだした。
聞くと大半の学生が「前置詞」という言葉を知らないと言うので腰を抜かさんばかりに驚いた。
知ってるという学生もいたので前置詞とはなにかと聞いたら「たしか、馬に乗る前の姿勢だったと思います」と答えたのでカックンとなったそうです。
これではいけないというので1990年代になって文法の授業が復活したそうです。
日本でも一度やめて見て、これではいけないかどうか確かめた方がいいと思います。
クリスタルさんは、文法規則をただおぼえこませるだけではいけないと書いてます。
受動態はどういうものか教えるだけでなくなぜ受動態を使うかを教える。
受動態を使う理由のひとつは「誰がしたのか」という行為の主体を省くためだそうです。
科学に関する文章は受動態が多いらしい。
たとえば化学の授業で、水素と酸素を混ぜて水を作ったときのレポート。
「水素と酸素を混ぜたら水ができた」と書くのが自然である。
「ジョンが水素と酸素を混ぜたら水ができた」と書くとジョンが魔術師か超能力者みたいで不自然である。
「ジョン」は書く必要がないから英語では受動態になる。
もっと不自然なのは「髪の毛を金色に染めて鼻ピアスをして真っ赤なシャツを着たジョンが銀のブレスレットをした手で水素と酸素を混ぜたら水ができた」という文章である。
たしかに実験の時ジョンは髪の毛を金色に染めて鼻ピアスをして真っ赤なシャツを着て銀のブレスレットをしていたかもしれんけど、それは書かなくていい。
化学の実験のレポートか若者のファッションレポートかわからない。
文法的にはおかしくないがおかしい。
こういう文法の授業ならおもしろいかもしれない。
588円、OKです。