「ポン菓子」というのがある。
私が子供のころは、リヤカーに「ポン菓子製造機」を積んだおじさんがやってきて、道端で製造販売した。
「ポン菓子製造機」は、大砲みたいなものだった。
これは大変な楽しみであった。
私たちは、一合だか二合だか忘れたが、米を持っていく。
おじさんは、米を「大砲」に入れる。
木を燃やして、大砲をぐるぐる回転させながら熱する。
何分かたったところで、おじさんが何かすると、「ドカン!」というすさまじい大音響と共に水蒸気が噴出!
そして、ポン菓子が大砲の先に取り付けた網の中に、ぶわーっと飛び出す。
「ポン菓子」よりも、「ドカン!」と「水蒸気噴出!」の方が楽しみなくらいであった。
小さいころは、こわくて遠巻きに見ていた。
大きくなるにつれ、徐々に「大砲」に近づいて見ていた。
「ドカン+煙もうもう」で、忍者気分が味わえるのがうれしいのだった。
五年生のころだったか、何人かで決死隊を結成、「大砲」のまん前で「ドカン!」を体験しようということになった。
決死隊のメンバーは全員用心深かった。
眼をぎゅっと閉じて、耳には指で栓をして、「大砲」の前に立った。
「ドカン!」
指の栓はまったく役に立たなかった。
轟音にびっくりして眼を開けたら、小川さんのおばちゃんが、こっちを見て、アハハとおなかを抱えて笑っていた。
「この子ら、耳ふさいでても飛び上がったわ」
決死隊は、「ドカン!」で一斉に飛び上がったようだ。
小川さんのおばちゃんは、色の白いやさしそうな人だった。
私たちは、夏になると、近くの川に渡された水道管にまたがって、ぺちゃくちゃしゃべることがあった。
水道管が冷たくて気持ちいいのだ。
そんなある日、小川さんのおばちゃんが通りがかった。
「あんたら、そんなとこに座ってたら、おいど冷えまっせ」
まだ若いおばちゃんが、「お尻」のことを「おいど」などと古風な大阪弁を使ったのが変に思えた。
黒柳徹子さんが、何十年か前ソ連に行ったとき、公園の石のベンチに座ってたら、おばあさんが近づいてきて、こわい顔で何か言った。
通訳に聞いたら、「若い娘が石のベンチに座って身体を冷やすのは良くない」といったのだ。
通訳の人は、「身体を冷やすのは良くない」と上品に訳したが、おばあさんはきっと、「おいど冷えまっせ!」といったのだと思う。