土曜日、酒屋のおやじさんが注文した酒を持ってきて、「濁り酒が入ったけどどうですか」というのでもらうことにした。
夕方に娘夫婦がやってくる。
娘のむこさんは日本酒も好きなのでちょうどいい。
一升瓶だ。
ずっと日本酒を飲んでいるが、一升瓶は久しぶりだ。
ふだんは紙パック、たまに四合瓶。
酒類の中で、紙パック入りの日本酒ほど情けないものはないと思う。
といって、一升瓶にこだわるほどでもない。
小学校の同じクラスに酒屋の息子がいた。
高学年になると、配達を手伝っていた。
自転車のハンドルに、一升瓶が二本入る袋を引っ掛けて、ぶつけないよう慎重にペダルを踏んでいた。
紙パックだったら、あれほど気を使わなくてもよかった。
今、配達を手伝う酒屋の息子は恵まれている。
濁り酒の一升瓶には、木の札がついていた。
「3150本中の2574本」
いかにも高級感というか希少感がただよっているといいたいが、そういうものをただよわせたいという空気がただよっているのはたしかであった。
娘夫婦がやってきた。
S君に、濁り酒を飲むかと聞いたら、「飲みます!」と、いいお返事であった。
S君の、一升瓶の取り扱いには感心した。
一升瓶の首をぐいと握って、片手でトクトクとコップに注ぐ。
これはかなりの熟練を要する技だ。
あんまりヘンなことを書くと、家内に怒られるので、濁り酒試飲会は、その後粛々と進み、誰も飲みすぎたりせず、平穏無事に終わったと、ご報告申し上げておきます。
飲み過ぎなかったにもかかわらず、私が、昨日一日頭が上がらなかったのは不思議といえば不思議な話である。