若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

「センター・パーソンド・ケア」(本人が決めるケア)

NHKTV「クローズアップ現代

昨日のタイトルは、「広がるか ”認知症”本人が決めるケア」

若年性認知症が増えているらしい。
その先進国(?)オーストラリアの例が紹介されていた。

オーストラリアでは、認知症の早期発見技術が進んで、若年性認知症の本人に、症状などを説明し、本人の意向を聞いたうえで、介護や治療を行っているという。

十年ほど前、認知症患者たち自身が声を上げ、国会を動かし、そういう体制が整った。

すばらしい、というか、ほんまかいな、というか、ほとんど理解不能のことである。

紹介されたオーストラリアの認知症の人たちは、私が考えるような人たちではなかった。
オーストラリアの認知症と日本の認知症は、種類がちがうのではないかと思えた。

オーストラリアの、高校の数学の先生だった人が出ていた。
ある日、授業で教室に行ったら、生徒の名前を全然思い出せなかった。
恐ろしい経験だった、と語っていた。

今、この先生は、認知症患者の集いに出ている。
出席者たちは、名前をすぐ忘れる。
それで、出席者の名前を書いたシールをまわす。
自分の名前をはがして、胸に貼り付けるのだが、この先生が、どうしたらいいかわからず、シールを持ってまごついていた。
それを見て、横にいた老婦人が、「この人、今日は誰になろうかって考えているんだわ」と笑った。

こんなしゃれたジョークをいえる認知症の人っているのか。
少なくとも私よりレベルが上です。

ゲストは、「国立長寿医療センター包括診療部長」の遠藤さんという方であった。
その長い肩書きを聞いただけで、日本とオーストラリアはちがうからなあ、とあきらめそうになる。
しかし、ここであきらめてはいけない。
オーストラリアにも、こういう長い肩書きの人がいるかもしれない。

遠藤さんは、日本の現状は遅れているが、大切なのは、日本でも認知症の人たち自身が声を上げることだと語った。

これはむずかしいと思う。
認知症になってから声を上げようと思っても、そうはいきませんよ。
ふだんから、声を上げることになれていないとダメだ。

そうでないと、国立長寿医療センター包括診療部長が、長寿医療介護技術問題対策統合専門家会議認知症分科会本人中心ケア促進小委員会で発言して、その場で十分な議論を尽くし、それからまた次の会議で、ということになるのではなかろうか。