若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

朝日新聞に問う

今朝の奈良版で一番大きな見出しはこれです。

「災害・仏像で持論披露
 写真家小川さん、東大寺で講演」

講演の写真も出てます。
写真の説明文は、「法隆寺夢殿の救世観音像の写真を見ながら話す小川光三さん」というものです。
その通りの写真です。

この見出しと写真を見てから、おもむろに記事を読み始めました。
「おもむろに」なんて、いやに気取るじゃないかと思われるかもしれませんが、今朝はホントにおもむろだったんです。

さて、読み始めると言っても、最初から読むのじゃありませんよ。
途中からです。

最初は飛ばして肝心な部分だけ読む。
「最初に肝心なことが書いてあったらどうするのだ」とご心配の皆様。
だいじょうぶです。

たとえば、今日の記事ですが、最初はこんなんです。

現代社会と仏教の接点をさぐる『東大寺現代仏教講演会』(東大寺、社団法人大仏奉賛会主催、朝日新聞後援)が9月30日、奈良市水門町の東大寺金鐘会館であった」

ね、飛ばしてもだいじょうぶでしょう。

私は、何を読むときでも、「飛ばし読み派」です。
何かを言うときは、「口から出まかせ派」、人の話を聞くときは、「右の耳から左の耳派」です。

この三つが、私の知識と教養を支える三本柱です。

というわけで、途中から読む。

岩手県釜石市のある中学では、日ごろから防災訓練をしてきたので、大震災の時に活躍したという例をあげ、「ふだんやってないことはできない。災害は組織や個人にとって実力試験であり、日ごろから実力を高めておかなければならない」と話した、と書いてあります。

仏像写真家ともなると文化財保護の観点から防災にも関心が強いんだなあ、仏像写真を撮影するときでも、お寺のお坊さんに防災の心得についていろいろ話しておられるんだろうな、と感心しつつ、うん?なんかヘンだな、と思いました。
仏像写真家がここまで言うかな。

で、その文章のちょっと前を読んでみました。
「林さんは・・・」

林さん?
誰じゃ。
小川さんでしょう。

ややこしいなあ。

飛ばし読みはやめて、最初から読んでみました。
紹介した記事冒頭の文に続いて、こう書いてありました。

京都大学防災研究所の林春男教授(防災心理学)と仏像写真家の小川光三さんが登壇し、災害と仏教美術について持論を披露した」

あのねー、この見出し、おかしくないですか。

「災害・仏像で持論披露
 写真家小川光三さん、東大寺で講演」

小川さんが、災害と仏像について持論を披露したように読めるじゃないですか。
こう読んでしまう「飛ばし読み派」の私がおかしいんでしょうか。

「災害・仏像で持論を披露
 京大教授林春男さんと写真家小川光三さん、東大寺で講演」

これが正しいと思います。
なぜ林さんの名前も写真ものせなかったのか、朝日新聞に聞きたいです。