若草鹿之助の「今日はラッキー!」

日記です。孫観察、油絵、乗馬、おもしろくない映画の紹介など

この目で確かめたい

きのう書いたトマス・ウェントワースという人は、若い時ケンブリッジで法律を勉強します。

日本で言えば、石田三成が京大で法律を勉強した、というとこですか。

で、弁論の達人になろう!と決意します。
日本で言えば、石田三成が、弁論の達人になろう!と決意するみたいなもんですね。

日本とイギリスはたいへん違うと思いました。

当時の「弁論」というと、ギリシャ、ローマの偉人たちの名文句を引用しまくる華麗なものが主流だったそうですが、ウェントワースは身近な話題を織り交ぜて聴衆の心をつかむのがうまかったそうです。

出世街道を驀進するウェントワースは、えげつない男という感じです。
しかし、王政の矛盾を一身に押し付けられて、諸悪の根源として議会で告発されてからの態度は立派なもんです。

二十数ヶ条の告発に、理路整然と反論して、著者によれば、彼の無実は立派に証明されたことになります。
しかし、とにかく敵を作りすぎちゃったもんで、無理やり死刑にされてしまう。

マサカリで首を落とされるんです。
ウェントワースは、せめてロンドン塔の中でやってくれと頼むんですが、公開処刑ということになる。

イングランド最低最悪の憎まれもの、諸悪の根源の処刑を見ようと、何万人もの人が集まった。
ロンドン市民は浮き立っていたそうです。

「これですべてがうまくいく」と思ったんですね。

ウェントワースは自分の死を待ち望む数万の群衆に淡々と語りかけます。

自分が無実であること。
無実の罪で殺されるのは自分が初めてではないこと。
この世は誤解と誤審に満ちており、無実の罪に問われるのはこの世に生きるものの宿命であること。
正しい裁きはこのあとにやって来ること。
誰に対しても何の恨みも持っていないこと。

いよいよその時が来た。
マサカリを持った首切り役人が、ハンカチで目隠しをしようとするのをさえぎって、ニコッと笑ってこう言ったそうです。

「目隠しはいらない。この目で確かめたいんでね」

この本の最後で、愛妻家で子煩悩だった彼の遺族たちが、なんとか平穏に人生を終えることができたことを知って、ホッとした気分で本を閉じることができました。