お正月は終わった感じである。
明日からは、仕事、なのだろうと思います。
私はしませんが。
「お正月」というと、「たこあげ」「百人一首」「トランプ」を思い浮かべる。
お正月に「トランプ」はヘンと思う人もいるでしょうが、私の母は、堅いまじめな人で、「トランプ」は正月にしかさせてくれなかったんです。
私は、長年、トランプは正月にするもんだと思ってました。
最近、たこあげもしないし百人一首もしないしトランプもしない。
なにもしないお正月である。
今年の一月一日には、ゆうちゃん(3歳9ヶ月児)と、あきらくん(1歳7ヶ月児)が来ました。
で、今年の一月一日の印象は、あきらくんが走り回ってたということである。
テーブルのまわりを走り回ってた。
グルグルグルグル走り回ってた。
座布団にけつまずいてバタンとこけてはすっくと起き上がって走り回ってた。
何度もバタンと倒れてた。
何度倒れてもすっくと起き上がって、にこにこ笑いながら走り回ってた。
バタンすっく、バタンすっくという感じ。
疲れを知らないというか恐れを知らないというか、とにかく顔面から倒れても平気である。
何度つかまえても、手を払いのけて、にこにこと走り回ってた。
1歳7か月男児、すごいです。
あきらくんと比べるとゆうちゃんは落ち着いたもんで、座布団にすわって、重箱に手を突っ込んで、黒豆や数の子や高野豆腐やくわいやユリ根をわしづかみにして、皿に入れて喜んでた。
皿に入れた黒豆や数の子や高野豆腐を、重箱に戻しては喜んでた。
あきらくんもゆうちゃんも喜んでた。
それを見ているパパとママも、じいちゃんばあちゃんも喜ぶべきであろうか。
どうかな。
わからん。
きのうは、生後10か月のしょうちゃんが来ました。
座敷に入ったしょうちゃんは泣き出しました。
見なれぬ場所に入ると、ホモサピエンスは泣き出すんですよ。
見なれぬ場所に行って喜ぶのは、ホモサピエンスとして狂ってる。
海外旅行で初めての土地に行った人は、不安に打ち震えて泣くのが正しい。
喜ぶのは狂ってる。
黒豆手づかみを喜ぶのは正しい。
狂った喜びと正しい喜びがある。
うれしいときは、自分が狂ってるのか正しいのか、よ〜く考えてみよう。