ノートルダム大聖堂の火災で尖塔が焼け落ちました。
エッフェル塔の建設計画が発表されたとき、画家や文学者から反対の声が上がったそうです。
その中で、ノートルダム大聖堂より高い建物を作るのは許せないという意見があったそうです。
朝刊に、「フランス人の心のふるさと」と書いてありました。
教会に行くフランス人は激減してるそうですが、やっぱり心のふるさとなのか。
「日本人にとって、法隆寺が焼けたようなもの」だというんですが、そうですか。
胸に手を当てて考えると、私には心のふるさとはないみたい。
法隆寺が焼けようが伊勢神宮が焼けようが、いや、焼けない方がいいですよ、焼けない方がいいけど、それで心にぽっかり穴が開くということはないように思います。
「心にぽっかり感」は、父が死んだときくらいかな。
母が死んだときは、ボケてから長かったからか、「ぽっかり感」はなかったです。
「ぽっかり感」がないのも、いいようなさびしいような。
もし法隆寺が焼けたら、フランスで大々的に報道するかなと、ヘンなことを考えました。